創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準㉓
- 2021.06.01
Ⅱ 人間が万物の基準である(20) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 6)人間至上主義と「超人類」への進化 ②人間至上主義から「超人類」へ しかし、言うまでもなく、この人間至上主義という新宗教自体が一つのフィクション、虚構、共同幻想です。それがフィクションであるかぎり、新たなフィクションに取って代わられる日が必ず来ます。「神」として地球に君臨している人類(ホモ・サピエンス)が別の種に超えられてしまう […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(20) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 6)人間至上主義と「超人類」への進化 ②人間至上主義から「超人類」へ しかし、言うまでもなく、この人間至上主義という新宗教自体が一つのフィクション、虚構、共同幻想です。それがフィクションであるかぎり、新たなフィクションに取って代わられる日が必ず来ます。「神」として地球に君臨している人類(ホモ・サピエンス)が別の種に超えられてしまう […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(19) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 6)人間至上主義と「超人類」への進化 さて、人間は創造主なる神を否定し、人間を万物の基準とする「人間至上主義」の文明を作り上げ、さらなる自己実現を目指してどこへ行きつこうとするのでしょうか。おそらく、ホモ・サピエンス(現人類)としての能力の限界を超克しようとするのだろうと思われます。つまり、新しい種「超人類」への進化です。 そんな […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(18) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 5)それでも人間を信頼するほかない ①行き詰っていても「人間が基準」 21世紀に入っても、「人間が万物の基準である」とする潮流に変わりはありません。今日も、「人間が万物の基準である」が社会の土台です。それが、政治や経済、そして思想や教育の基調です。そうして人間至上主義をひたすら突き進んでいます。 実のところ、人間は、人間の知性と力 […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(17) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 4)虚無の時代 ④唯物主義の世界 現代、「人間が万物の基準である」とする思想の中でも、最たるもの一つは唯物論です。物質を構成する最小単位である素粒子が集まって原子となり、分子となり、それが様々な目に見える物質となり、人の体ともなり、社会となり、世界となり、宇宙となっているのであって、物質以外は何も存在しない、という思想です。 この […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(16) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 4)虚無の時代 ③すべては虚構 このように、「人間が万物の基準である」とするかぎり、どこまでいっても、すべては相対的解釈にとどまるほかありません。聖書の『士師記』の時代から三千年以上たっても、「それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」という混沌状態から抜け出せてはいないのです。 西欧でポストモダンと呼ばれた20世紀の思想は […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(15) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 4)虚無の時代 ①人間理性の無力 二つの悲惨な世界大戦を経験したヨーロッパに、20世紀後半から、人間理性に対する失望と批判、そして反省が広がりました。理性は人間の心に巣食う欲望、怒り、残忍さを制御できず、むしろそれに加担し、狂気が吹き荒れるままにしてしまったからです。ヨーロッパのキリスト教会もそれを阻止できず、理性に信頼する無力さ […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(14) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 3)「神を殺した」・・・「殺し」の時代 ②人殺し しかし、「我々は神を殺した」と誇った人間は、20世紀に入ると、今度は人間自身を大量殺戮するようになります。20世紀前半に起こった人類史未曽有の二つの世界大戦です。第一次世界大戦では3700万人、第二次世界大戦では5000万から8000万人が犠牲になったと記録されています。また、ロシ […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(13) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 3)「神を殺した」・・・「殺し」の時代 ①神殺し そうして、19世紀に入ります。「人間が万物の基準である」とする哲学や思想は、いよいよ本格的に神の排除を開始します。最初の人殺しとなったカインは、神のもとを去って、神のいない町と文化を形成しましたが、人間中心主義を推し進めていった19世紀の西欧人は、ついに神そのものを葬り去ろうとした […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(12) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 2)啓蒙主義・・・人間理性中心の時代 次いで、ヨーロッパは啓蒙主義の時代に入ります。 啓蒙主義とは、理性に基づく合理主義、科学主義によって人間を教育し,無知蒙昧から解放することが、人類の進歩につながるという思想です。そして、神、および神にまつわるあらゆる迷信を徹底的に排除し、人間の理性と科学の力で、あらゆる問題を解決できると考えた […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(11) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 1)近代的自我が基準となる ルネサンスの古代ギリシアの復興、つまりヘレニズムの人間中心主義、理性中心主義、合理主義が近代の始まりとなりました。それを決定づけたのが、フランスの哲学者ルネ・デカルト(仏1596—1650)でした。 デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉は有名です。デカルトは、すべてのことを疑っても「絶対に疑えな […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(10) 4.ルネサンス さて、話をヨーロッパに戻します。 ヨーロッパの中世は、概して言えば、ローマカトリック教会が、圧倒的な権威と権力をふるった時代でした。教会が独断的、独善的な教理で人々の心を支配し、人間の自由と知性を抑圧した暗黒の時代と呼ばれたりします。 しかし、14世紀から16世紀にかけて、古代ギリシアのように本来の人間らしさを回復しようという運動が、イタリアを […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(9) 3.古代の東洋思想 ここで少し、古代の東洋の宗教、思想にも触れておきます。 やはり、その中心となる原理は「人間が基準」でした。 インドのバラモン、ヒンドゥ教は、「人間が、人間に似せて、人間のかたちに、種々の自然神を造った」といえる多神教の宗教です。輪廻転生も、人間の感性や思考、体験や願いを基準にした発想です。 仏教もヒンドゥ教の流れの中にあります。ゴータマ・ジッ […]