創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑯
- 2021.05.07
Ⅱ 人間が万物の基準である(13) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 3)「神を殺した」・・・「殺し」の時代 ①神殺し そうして、19世紀に入ります。「人間が万物の基準である」とする哲学や思想は、いよいよ本格的に神の排除を開始します。最初の人殺しとなったカインは、神のもとを去って、神のいない町と文化を形成しましたが、人間中心主義を推し進めていった19世紀の西欧人は、ついに神そのものを葬り去ろうとした […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(13) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 3)「神を殺した」・・・「殺し」の時代 ①神殺し そうして、19世紀に入ります。「人間が万物の基準である」とする哲学や思想は、いよいよ本格的に神の排除を開始します。最初の人殺しとなったカインは、神のもとを去って、神のいない町と文化を形成しましたが、人間中心主義を推し進めていった19世紀の西欧人は、ついに神そのものを葬り去ろうとした […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(12) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 2)啓蒙主義・・・人間理性中心の時代 次いで、ヨーロッパは啓蒙主義の時代に入ります。 啓蒙主義とは、理性に基づく合理主義、科学主義によって人間を教育し,無知蒙昧から解放することが、人類の進歩につながるという思想です。そして、神、および神にまつわるあらゆる迷信を徹底的に排除し、人間の理性と科学の力で、あらゆる問題を解決できると考えた […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(11) 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義 1)近代的自我が基準となる ルネサンスの古代ギリシアの復興、つまりヘレニズムの人間中心主義、理性中心主義、合理主義が近代の始まりとなりました。それを決定づけたのが、フランスの哲学者ルネ・デカルト(仏1596—1650)でした。 デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉は有名です。デカルトは、すべてのことを疑っても「絶対に疑えな […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(10) 4.ルネサンス さて、話をヨーロッパに戻します。 ヨーロッパの中世は、概して言えば、ローマカトリック教会が、圧倒的な権威と権力をふるった時代でした。教会が独断的、独善的な教理で人々の心を支配し、人間の自由と知性を抑圧した暗黒の時代と呼ばれたりします。 しかし、14世紀から16世紀にかけて、古代ギリシアのように本来の人間らしさを回復しようという運動が、イタリアを […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(9) 3.古代の東洋思想 ここで少し、古代の東洋の宗教、思想にも触れておきます。 やはり、その中心となる原理は「人間が基準」でした。 インドのバラモン、ヒンドゥ教は、「人間が、人間に似せて、人間のかたちに、種々の自然神を造った」といえる多神教の宗教です。輪廻転生も、人間の感性や思考、体験や願いを基準にした発想です。 仏教もヒンドゥ教の流れの中にあります。ゴータマ・ジッ […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(8) 2.古代ギリシアとローマの人間中心主義 2)ヘレニズムの教会支配 BC332年、マケドニア(ギリシア)のアレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシャを滅ぼすと、ユダヤの国も大王の支配下に置かれ、ヘレニズム(ギリシア)文化の影響をもろに受けることになります。ギリシアのあと地中海世界の覇者となったローマ帝国も、ヘレニズム文化を全面的に引き継ぎました。ローマの属国となっ […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(7) 2.古代ギリシアとローマの人間中心主義 アダム以来の「人間を万物の基準」とす系譜を受け継いだのが、古代ギリシアとローマです。それは、人間が作ったさまざまな神々があふれる世界、ヘレニズムと呼ばれる人間中心主義の潮流です。 1)古代ギリシアの人間中心主義 紀元前五世紀の哲学者でソフィストのプロタゴラスは、「人間は万物の尺度である」と唱えましました。彼はこう言います。 […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(6) ⑤列王記、歴代誌の時代・・・偶像礼拝 さて、およそ五百年に及ぶイスラエルの王たちの時代は、偶像礼拝の時代でした。本来、イスラエルは唯一神信仰の民族であり、イスラエル起源の偶像神はありません。イスラエルの神は、偶像を作ること、偶像を拝むことを厳しく禁じておられました。しかし、イスラエルが獲得した「約束の地」は、カナンの七民族をはじめ、エジプト、ペリシテ、アラム、ア […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(5) ④コヘレトの言葉・・・虚無主義 さて、「士師たち時代」から「王たちの時代」に移ります。この時代、「人間を基準とする」生き方は、もう一つの頂点に達します。「虚無」です。 「ダビデの子、エルサレムの王、コヘレトの言葉」。イスラエルでも最も知恵と知識と富とを極めた偉大な王コヘレトが、この世のあらゆる事々を味わい、探究して行き着いた結論です。それは「空の空/空の空、一切 […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(4) ③『士師記』の時代・・・多元主義、相対主義 それに対し、創造主は、アブラハムというひとりの人物を選んで契約を結び、その子孫イスラエルを「神の民」とし、彼らを通して、「神が万物の基準である」ことを回復しようとされました。イスラエルに、神の聖さと善悪の基準であるトーラー(律法)を与え、彼らによって世界に神の基準を示そうとされたのです。 しかし、そんな神の選びの民であっ […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(3) 3)人間を基準とする社会の構築 ①人間崇拝の始まり 『創世記』は、神が、「神に似せて、神のかたちに」人間を創造したと語ります(1:26、27)。これが、神を基準にした人間観です。 しかし、人間は神に反逆して、自らが「神のように」なり、そして「人間に似せて、人間のかたちに」神々(偶像)を造り、その神々を拝むようになりました。神々は「人間のかたち」なのですから、人間 […]
Ⅱ 人間が万物の基準である(2) では、人間が万物の基準となっていく過程を、聖書がどう語っているかを見ていきます。 2)創造主が定めた基準の破壊 自分自身を基準にして生きるようになった人間は、創造主を基準とするあり方を破壊していきます。 ①人間の命の尊厳の破壊 まず、神が定めた「人間の命の尊厳」が損なわれます。アダムの子カインが妬みと怒りに突き動かされ、弟のアベルを殺したのです。最初の殺人です( […]