ステーション2 エジプト(前半)

ステーション2 エジプト(前半)

歴史的背景

エジプトはアフリカ大陸にあり、イスラエルとはシナイ砂漠や、地中海と紅海の間にある湿地や湖によって、地理的に分断されています。また、イスラエルの人々は遊牧生活を営む一方、エジプトの人々は定住生活であったことから、両地域は文化的にも大きく異なっていました。エジプトは穀物や家畜が豊かでしたが、イスラエルにはそれと交換できるものがなく、貧富の面でも大きな差がありました。さらに、エジプト人はハム族、イスラエルはセム族に属します。このような両者の大きな違いにもかかわらず、エジプトはユダヤ人にとって歴史的に非常に重要な位置を占めていたため、ヘブル語聖書にはエジプトという名が500回以上も出てきます。

エジプトはアフリカの北東部に広がり、北の境界は地中海、東は紅海、南は荒野、そして西はサハラ砂漠が境界でした。自然の境界があるおかげで、エジプトの国境は敵の侵入から守られやすくなっていました。

エジプトのライフラインはナイル川です。聖書の時代に、もしナイル川がなかったなら、そこは貧しく何も育たない地だったでしょう。この川は、エジプトを通り6,500kmにわたって流れており、交通手段、貿易と商業の場、飲み水の源、農業の基盤となり、水浴や余暇の活動の場ともなりました。それゆえ、エジプトは「ナイルの賜物」と呼ばれました。

毎年7月に起きる氾濫(はんらん)によって、上流の豊かな土壌が下流に運ばれ、ナイル川流域は世界一肥沃な農地となりました。また、洪水によって、灌漑(かんがい)に使える水ももたらされました。青々と茂る河谷は幅数kmから30kmにわたり、古代エジプト人はそこを「黒い土地」と呼んでいました。それに対し、周囲の砂漠は「赤い土地」と呼ばれていました。

エジプトの歴史については、古代文明の中でも、最も整った記録が残っています。考古学者が数々の遺跡を発掘したので、そこでどんな生活が営まれていたか、現代の私たちはつぶさに知ることができます。遺跡からは、石板、墓、神殿、さらには図書館までもが発掘されました。また、古代エジプトの書き言葉であるヒエログリフが1800年代に解読されたことで、その地の宗教、政治、経済について多くの情報が得られました。

研究者は、古代エジプトの3000年の歴史を、統治した王によって31の治世に分けます。治世はさらに、3つの「王国」にまとめられます。古王国(紀元前2700~2400年、第3~4治世)、中期王国(紀元前2134~1786年、第6~7治世)、そして新王国(紀元前1570~1085年、第18~20治世)です。ここでは、おもに新王国に焦点を当てます。

第18治世、エジプトは外国の支配から自由になり、最大の繁栄期を迎えます。人々の生活は安全で、非常に豊かになりました。エジプト人は家庭生活をとても大切にし、家庭内では、当時の他の文化よりずっとオープンに子供への愛情を表現しました。子供には家の仕事はほとんどさせず、たくさん遊ばせました。子供たちは人形や機械仕掛けのおもちゃを持っており、現代の子供と同様、様々なゲームで遊びました。家族のゲームとして人気だったのは、「セネト」や「猟犬とジャッカル」(どちらもボードゲーム)です。家庭にはペットもいました。犬や猫だけでなく、馬や猿までペットとして飼っていました。

エジプト社会は3つの階級に分かれており、最も人口の多い下層階級は、貧しい小作農や兵士、非熟練の労働者で構成されていました。貧しく厳しい生活を余儀なくされることもありましたが、家族愛にあふれ、余暇を楽しんでいました。労働者の多くはファラオや祭司、富裕層に仕え、王や王とつながりのある裕福な人々が埋葬される墓地、ネクロポリスで働く人々もいました。仕事は日の出とともに始まり、日没まで休みなしです。男の子は父から商売を学び、女の子は母から家庭の切り盛りを学びました。小作農は、頻繁にパーティーを開けるほどではなかったものの、音楽と食事をこよなく愛する楽しい人々でした。典型的な食事はドライフルーツと生野菜で、魚、パン、そしてビールも一般的なメニューでした。

エジプトの上流階級の層は厚く、収入は豊かで満ち足りた生活を楽しんでいました。男性は、商人、貿易商、僧、書記、軍人、農業経営者、芸術家や職人として仕事をし、毎日忙しい生活を送ります。女性は家庭を管理し、毎日の家事、献立、育児について、召使いに指示を出していました。それだけでなく、土地を所有したり、自らビジネスを営んだりするなど、女性は多くの権利を持っていました。また、裁判で証言したり、裁判官として男性に刑を言い渡したりすることも許されています。豊かでエネルギーに満ちたこの階級では、男性も女性もファッションに気を遣っていて、美しい布の衣服や、多くの宝石を身に着け、派手な化粧をしていました。女性の多くは頭に香料をつけます。それはエジプトの暑さでゆっくりと溶け、良い香りを漂わせるものでした。

最も豊かで権力のある最上流階級は、ファラオと、ファラオの側近、軍の司令官、高位の祭司、貴族です。エジプト人は、ファラオは現人神(あらひとがみ)であり、ホルスという神が人間になったと信じており、ファラオだけが国をまとめ宇宙の秩序を維持できると考えていました。ファラオは税を課し、軍を導き、犯罪者を裁き、神殿を支配しました。「太陽が取り囲むすべてのもの」、つまりあらゆる物事に対する権力を持っていたのです。ファラオは死ぬと永遠の生命を得、従う者すべても永遠の生命を得ると信じられていました。

エジプト人の宗教はとても複雑で、700以上の神々で成り立っています。何百もの神殿が建てられ、そこに神々が実際にいると信じられていました。神々は半分が人、半分が動物として描かれることが多く、人間の感情を持っていました。神殿の祭司は、神々を慰め、国の繁栄のために祈り、いけにえを捧げ、日々荘厳な儀式を執り行いました。

エジプトの宗教の中心は死後の世界です。その世界に、「完全な」肉体を持って入ることが、人々にとって重要でした。死後、カーと呼ばれる霊がさまよい出て、夜になると肉体に戻ると信じられていたため、肉体は霊魂が再び宿れる場所となるよう、ミイラにされました。祈祷、儀礼、ミイラにする手順は厳格に守られ、何千年も変わらずに続けられました。腐敗を防ぐため、肉体には香料が施され、衣服が着せられます。動物崇拝も盛んであり、ペットまでもがミイラにされました。猫、犬、ジャッカル、ワニ、牛、魚、さらにはヒヒのお墓が見つかっています。ある墓からは、200万羽のトキ(鳥)のミイラが、彩色された壺(つぼ)に納められているのが、発見されました。

エジプト人が作り上げたものの中で最も目を引くのは、ピラミッドです。ナイル川の西岸には、70のピラミッドが建てられています。葬られている人々は、自分を神とし、ピラミッドが死後の世界へ導いてくれると信じていました。今のカイロ市の近くにある3つのピラミッドは、古代世界の七不思議の中で唯一現存するものです。切り出した石で建てられており、ファラオと家族が葬られています。ファラオが死んで永遠の生命を得れば、人々も永遠の生命が得られると考えていたので、ファラオが死後の世界に入っていくことは極めて重要でした。

ピラミッドの中には、君主が死後の旅で使うものに加え、ファラオ自身の宝が大量に納められました。設計に始まり、土地を平らにし、材料を調達し、労働者を集めるなど、建設は大きな事業となりました。建設のためには莫大な費用がかかりましたが、エジプト人は喜んで支払いました。宗教的な意味でピラミッドが非常に重要だったからです。それで、建設費は税金で賄われました。しかし、建設のためには、それとは比較にならないほどの、大きな犠牲が払われました。それは、何世代にもわたり、奴隷たちが苦しみながら働き、死んでいったという、その犠牲です。彼らの一生はすべて、存在しない神々の建造物を作るために費やされたのです。