ステーション2 エジプト(後半)

ステーション2 エジプト(後半)

教えるための情報

紀元前1800年ごろ、エジプトの繁栄には陰りが見え始めていました。ヤコブの息子ヨセフが、隊商のキャラバンとともに、奴隷としてエジプトにたどり着いたのは、その時期です。ヨセフは幾度もの危機を乗り越え、最終的にはファラオに次ぐ宰相の地位に就きます。彼は、偶像礼拝が盛んな異教の地に住みながら、神は唯一だという真理に立ち続けた、驚くべき人物です。王宮の富も地位も、ヨセフを真の神から遠ざけることはありませんでした。ヨセフとファラオのつながりを通して、イスラエル人はエジプトに移住し、400年住むことになります。

新王国の18番目の王朝で、エジプトの繁栄と力はピークを迎えました。その時代のファラオは、ヨセフを知らない王で、人口が増加するイスラエル人を恐れていました。王はイスラエル人を奴隷として苦役を課し、その勢力を押さえつけようとしました。助産婦たちには、ヘブル人の男の赤ちゃんを殺すように命じました。

この過酷な状況の中で、神はイスラエル人の悲痛な叫びを聞き、彼らをエジプトから導き出す計画を始動させます。
その歯車は、ひとりのイスラエル人の女性が男の子を産んだことで、動き出しました。彼女はその子を何としても救いたいと願い、赤ん坊をかごに入れてナイル川に浮かべました。その赤ん坊が、モーセです。かごは奇しくもファラオの娘に拾われ、モーセは王宮で、王子として育てられることとなりました。それは単なる偶然ではありません。彼は王宮で、古代の青年男子としては最高の処遇を受けました。もし同胞のヘブル人とともに奴隷として育ったなら、エジプトの権力に逆らいイスラエル人を救い出すのに必要な勇気、能力、誇りを持つことはなかったでしょう。

モーセはやがて、出エジプトの指導者として立つことになりますが、そうなる前に彼が関わった三つのできごとがあります。一つは、奴隷のへブル人を虐待した監督を殺したこと。二つ目は、二人のヘブル人同士の争いを仲裁しようとしたこと。三つ目は、ミデヤンの地に逃亡したとき、羊飼いにいじめられていたイテロの娘たちを助けたことです。モーセはホレブの山でイスラエルの神と出会う前に、不正に対し身を挺して戦う経験をしていたのです。

モーセはミデヤン人の祭司イテロの娘チッポラと結婚し、イテロの家の羊飼いになりました。ある日、ホレブの山の荒野で羊を飼っていると、燃え尽きることのない柴の火の中に、主の使いが現れます。主はモーセに、兄アロンとともにエジプトに戻り、「わたしの民を去らせよ」というメッセージを父ファラオに伝えるよう、命じられます。

しかし、王ファラオは、モーセの要求を聞き入れず、イスラエルの民を去らせませんでした。主がファラオに強く要求すればするほど、エジプト王もイスラエル人への労役を重くしていきました。イスラエル人は解放されるどころか、藁(わら)の供給なしにレンガを作るという無理難題に直面することになるのです。

学びの進め方

このステーションのリーダーは、エジプト人の奴隷主の役となり、子供たちをへブル人の奴隷役にして、レンガの作り方を教えます。アシスタントも奴隷主の役を演じましょう。出エジプト1~5章のモーセとファラオの話を、前もってよく読んでください。

まず生徒たちに、「鞭」を鳴らして、「君たちは奴隷で、私は主人だ」と説明し、レンガの作り方を教え、日の出から日没まで一生懸命に働くよう命じます。年下の生徒が怖がらないように配慮しながらも、役になりきって楽しくやってください。

教師とアシスタントは協力して、「奴隷」がレンガを作るのに必要な材料をすべてそろえます。「鞭」を鳴らしては「奴隷」に働けと命じ、このように言ってください。
「今作っているレンガはピラミッドの材料だ。ピラミッドはファラオが死後に住む場所であるから、最高のレンガを作らなければならないのだ」。
次いで、ピラミッドを建てる理由を説明します。
「ファラオが死ぬと、お前たちにも永遠の生命が与えられる。だからファラオに最高のピラミッドを建てるのだ」。
また、「神はただひとりであるという、ヘブル人の教えを聞いたことがあるか」と尋ね、「それはおろかな教えだ。われわれは、少なくとも700の神がいると信じているのだ」と言い放ちます。
そして、生徒たちがレンガを作り終えたら、レンガには、作った生徒の部族名と名前を書かせます。

雰囲気づくり

以下の物をいくつか組み合わせて、エジプトの場面を作りましょう。

  • 大小たくさんの植物。本物でなくてもOKです。
  • 穀物や草を入れたかご。
  • 藁(わら)の束。
  • ボール紙や板で作った、らくだやろば。
  • カーペットを巻いて作った、しゅろの木。
  • 青い模造紙の周りに石を丸く置いて作った井戸。
  • 開いた大きな段ボール箱か、大きな壁紙に、砂漠の風景が描いたもの。

衣装

  • 上半身は裸で、ひざ下丈の白い巻きスカートをはきます。頭には白い布をかぶり、黒いひもで結びます。サンダルを履き、布製のロープでできた鞭を手に持ってください。
  • ひざ下丈の白いチュニックをかぶり、黒いひもを腰に結びます。頭には白い布をかぶり、黒いひもで結びます。サンダルを履き、布製のロープでできた鞭を手に持ってください。

活動

レンガ作りに使うものは次の通りです。

藁、泥、水、洗面器、濡れてもかまわない服(片づけ用)、食パン用の型か、木でできた型(下の説明を読んでください)

奴隷たち(生徒たち)のそれぞれの洗面器に泥、藁、1カップの水を入れます。手や足で材料を全部混ぜ、さらに泥、藁、水を加えて、それらが混ざり合ってくっつくようにします。よく混ざったら、型に詰め、崩れないように、乾いたところに出します。そして、レンガが固くなるまで乾かします。

木の型の作り方: 8cm×13cmの板を2枚、8cm×25cmの板を2枚切り、釘を打ち込んで型にします。

知っていましたか

  • エジプト人は、若くして結婚しました。12歳くらいです。通常は、夫ひとりに妻ひとりでした。例外はファラオで、好きなだけ妻を持ち、ハーレムもありました。その結果、ラムセス2世などは、162人の子供がいたということです。
  • エジプト人はパーティー好きで、8日間続くことがふつうでした。客は、到着すると、泡風呂に入り、マッサージを受け、ひとりひとりの召使いが割り当てられました。召使いは食事の世話だけでなく、客が飲むときカップを差し出すなど、驚くほど手厚くもてなしました。
  • おそらく、建築家が設計して建てられた最初の建造物は、紀元前2630年のピラミッドです。このピラミッドは、エジプト最初の公認建築家イムホテップによって建てられました。彼は死後2000年の間、知恵の神として崇められました。
  • エジプトの女性は、そのピラミッド建築の2000年前から、鼻に粉をはたいていました。粉にしたマラカイト(クジャク石)は、アイメイクにも使われ、日光から目を守る働きもしました。つま先や爪を染めるのにはヘナが、唇や頬(ほお)には土からとれる赤い顔料が、香水にはゆりの油が使われました。
  • 考古学者たちは、歯のすり減ったたくさんのミイラを、砂の中に見つけました。食物を育てる土は肥沃でしたが、砂が空中に巻き上げられ、穀物の中に舞い落ちました。それで、砂入りパンができてしまったのです。それを食べた人の歯もすり減ってしまったのだと考えられています。