ステーション3 シナイ山(前半)
- 2020.04.01
- アブラハムの子供たち
歴史的背景
出エジプト記では、イスラエルの民がエジプトから出て行くことを頑なに拒否する王パロ(ファラオ)に対し、神は9つの災いでエジプトを打たれました。それでも、パロは拒否し続けます。そこで、神の御使いがエジプト全土を行きめぐって、すべての家の初子を打ちました。それを見たパロはさすがに態度を和らげ、神の民イスラエルをエジプトから去らせました。
イスラエル人は、エジプトの隣人から所有物を「はぎ取って」、出エジプトしました。ところが、またもやパロは心を変え、全世界を治める神に対し、最後の反抗を試みました。イスラエルを葦の海まで追ってきたのです。しかし神は奇跡を起こされ、ご自分の民を海の向こう側に渡し、パロとその兵士を海に投げ込まれました。向こう岸へたどり着いたイスラエル人は、神が導き出してくださったことに喜び感謝しました。
ラビの伝統的な教えでは、そのとき天の御使いたちも喜んだと言われます。しかし神は御使いたちに向き直り、「わたしの造った者たちがおぼれている。あなたがたはどうして、歌を歌うことができるのか」と怒られます。「敵の滅びや苦しみを喜んではならない」というのはユダヤ教の大切な教えとなり、過越の祭りでも確認されるようになりました。申命記23章7節には、こうあります。「エジプト人を忌み嫌ってはならない。あなたはその地で寄留者だったからである」。
クリスチャンの多くは、「出エジプト」で大切なのは、紅海が分かれて、神が救ってくださったことだと考えます。しかしユダヤの伝統では、シナイ山で神が現れ、律法をくださったことが最も大切だとされています。神が民を解放したのは、ただ自由にするためではなく、神に仕える者とするためだったというのです。出エジプト7章16節では、主がモーセを通して、パロに命じています。「わたしの民を去らせ、彼らが荒野でわたしに仕えるようにせよ」。エジプトを出て数週間後、民はシナイ半島の南端近くにあるシナイ山に着きました。ここで神は、ご自分の民に語りかけ、十戒を授けました。しかし民は、雷、いなずま、地震とともに現れた神の力に驚き、滅ぼされるのではないかと恐れました。モーセは、神が民をエジプトから連れ出したのは、滅ぼすためではないことを、民に伝えました。モーセは、民と神の間に立つ仲介者となったのです。
教えるための情報
このステーションの中心は、イスラエル人がエジプトから導き出されたことと、シナイ山で神と出会ったことです。ユダヤ人の歴史上、この時代に関しては、考古学などの聖書外の情報源がほとんどありません。しかし、聖書自体が私たちに膨大な量の情報を与えてくれます。
神がシナイ山でモーセに現れたのは、イスラエル史においてとても重要な瞬間です。申命記6章4節には、「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である」(ヘブル語では、「シェマ イスラエル、アドナイ エロヘイヌ、アドナイ エハド」)とあります。この言葉は、ユダヤ教のまさに神髄です。それは、唯一なる神への全き信仰と、あらゆる偶像の拒否です。今日に至るまで、ユダヤ人にとって信条となっています。数えきれないほどのユダヤ人が、この「シェマ」を唱えながら殉教しました。また、朝の祈り、夕べの祈り、寝る前の祈りでも、唱えられています。「シェマ」は、他の3つの箇所とともに暗唱され(申命記6章4~9節、申命記11章13~21節、民数記15章37~41節)、ユダヤ教の根幹をなしているのです。
ユダヤ教において、十戒は確かに重要です。しかしユダヤ人学者たちは、モーセがシナイ山の頂上で神とともに四十日四十夜過ごしたとき、全部で613の命令を授けられたと考えています。これらの命令は、トーラーの大きな部分を占めています。トーラーとは、ヘブル語聖書(旧約聖書)の最初の五書のことです。クリスチャンの多くは、ユダヤ教は儀式と律法主義の宗教であり、恵みの宗教ではないという誤った考えを持っています。ユダヤ教と言えば「律法」だと思い込みがちなのです。理由の一つは、「律法」と訳される言葉が旧約聖書で300回ほども使われていることにあります。しかし、そのうち220回は、「教え」や「指示」を意味する「トーラー」というヘブライ語です。西洋世界の「律法」の概念から悪い印象を持ってしまいがちですが、ヘブライ的には、トーラーは、私たちが祝福されて生きるために、神が与えてくださった愛の教えや指示なのです。
ですから、ひとつひとつの神のご指示をはっきりと理解し、注意深く従うことが、とても大切です。ユダヤの賢人たちは、神の民が常に神の言葉を心に刻めるように解き明かしました。次に挙げるのは、その数例です。クリスチャンとはかけ離れた奇妙なもの思われるかもしれませんが、御言葉に基づいた習慣であり、多くの良い教訓があります。
テフィリン
「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。これをしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい」(申命記6章5~8節)。この命令に従うために作られたのがテフィリンです。ユダヤ人の男性は数千年にわたってこれを使ってきました。学者たちは、当時の厳格なユダヤ教徒であった主イエスも、テフィリンをつけていたと考えています。
テフィリンとは、皮ひものついた2つの小さな皮の箱です。「シェマ」と出エジプト記13章1~10節、そして11~16節が、書記の手で書かれ箱に納められています。ユダヤ人の男性は、ひとつの箱を額に置き、もうひとつを腕に結びつけて、毎朝の祈りを捧げます。テフィリンは大変尊いものとされ、人々はそれをつけているときに、特別な祈りや祝福の言葉を口にしました。ある89歳のラビなどは、成人してからの76年間、一度たりともテフィリンをつけ忘れたことはないとのことでした。ホロコーストのとき、ナチスの強制収容所にテフィリンをひそかに持って行ったユダヤ人の話は、いくつもあります。
テフィリンを使わないクリスチャンも、彼らから学びたいと思います。御言葉がいつも目の前にあるかのように、頭が御言葉で満たされることです。そして、私たちの手のわざがすべて神の言葉に支配され、心はいつも神の思いで満たされているようにするのです。クリスチャンとして、日々の祈りを忘れたことがないと言える人は、どれほどいるでしょうか。
メズザー
「これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。……これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい」(申命記6章7、9節)。
メズザーとは、ヘブル語で門柱を意味します。この命令に従い、ユダヤ人は数千年にわたってメズザーと呼ばれる小さな箱を、家の門柱につけています。箱の中には、書記が巻物に書いた「シェマ」の節が入っています。ユダヤ人は家に入るときメズザーを見て、家庭をどのように治めるべきか、神の御心を思い起こします。家を出るときにはメズザーを見て、世に神を示すためにどれほど高い基準で行動すべきか、その責任を思い起こすのです。ユダヤ人の多くは、入り口を通るときにメズザーに口づけをし、御言葉や神への愛を確かめます。指先をメズザーにつけたあと、その指に口づけするという方法もあります。
タリット
タリットは、大きな正方形の布でできた「祈りの肩掛け」です。四隅に、より合わせて結んである「ツィツィ」という房がついています。ツィツィは、613の律法を表しています。聖書には、タリット全体の作り方が書かれているわけではありませんが、房をどう作るべきかは書かれています。何千年にもわたり、ユダヤ人男性はこのタリットを着ることを習慣としてきました。神がシナイ山でモーセを教えたとき、ご自身にタリットを巻かれたと、ラビたちは伝えています。東ヨーロッパの子供たちは、初めて学校へ行くときにタリットを巻いて登校しました。主の前でラビがトーラーを開くとき、彼らはタリットを巻いた姿でラビの前に連れて行かれました。
学者たちは、主イエスも当時の厳格なユダヤ人男性と同様、ツィツィのついたタリットを着ていたと考えています。それはマタイの福音書9章20節からも分かります。「長血の女」は、イエスの着物の房に触れれば癒されると信じていました。民数記や申命記では、ツィツィのついている部分は「カナフ」と呼ばれ、「角(かど)」を意味します。しかし、その同じ言葉は「翼」とも訳されます。たとえばルツ記で、ルツがボアズに、「あなたの覆いを、あなたのはしための上に広げてください」とお願いしましたが、その「覆い」というのもこの「カナフ」です。ルツは、「私をあなたの翼の下に入れてください」と頼んだのです。興味深いことに、ツィツィという言葉もまた「翼」と訳されることがあります。つまり、ツィツィもタリットの角も両方、「翼」と呼ばれているということです。
マラキ書4章2節には、「しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る」とあります。この節の「翼」は「カナフ」です。イエスの時代には、この節はメシア到来を示すものと理解されていました。マタイの福音書9章の「長血の女」は、イエスが本当にメシアなら、その「翼」に癒しがあると知っていたので、その信仰で主イエスのツィツィに触れたのです。そして、メシアなる神は、その信仰を見て、彼女を癒しました。
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