ステーション6 ペルシャ
- 2020.05.13
- アブラハムの子供たち
歴史的背景
ペルシャのユダヤ人共同体の存在は、エステル記に関連しているため、よく知られています。南王国ユダがバビロンへ捕囚になった紀元前6世紀に生まれ、ディアスポラの共同体の中では最も古いものです。その後紀元前539年、ペルシャの王キュロス(クロス)が、バビロンに侵攻した際、ユダヤ人の祖国帰還を許可しました。この時、一部のユダヤ人が帰国しましたが、ディアスポラの共同体がペルシャから消えたわけではありません。ユダヤ人の多くは捕囚の地に根を下ろしていたため、イスラエルに戻らずペルシャにとどまることを選びました。祖国では受け入れられないかもしれないと考え、とどまる決断をした人も少なくありませんでした。
エステル記、エズラ記、ネヘミヤ記、ダニエル書を読むと、ユダヤ人がペルシャのディアスポラ共同体でどのような生活を送っていたかがわかります。他のディアスポラの地でも同様でしたが、多くは、現在の居留地で受け入れられ大切にされるか、イスラエルに帰還して信頼されず迫害されるか、どちらを選ぶかで揺れ動きました。
ペルシャ時代の状況は、現在のイランのユダヤ人共同体でも変わりません。紀元後642年にイスラム教が国教化されたことで、ユダヤ人は絶え間ない差別と迫害に苦しむようになりました。ムスリム(イスラム教徒)はユダヤ人より優れているとされ、ユダヤ人の活動には多くの制限が加えられました。10世紀には、ユダヤ人の裕福な商人階級が現れましたが、19世紀まで常に迫害の対象となったことにはかわりありませんでした。共同体全体がイスラム教に改宗するか、滅ぼされるかの岐路に立たされました。その後、1979年にイランにイスラム革命が起こるまで、ユダヤ人は受容されたり迫害されたりの連続でした。激動の中で何万人ものユダヤ人が国を去り、アメリカ、イスラエル、イギリス、イタリア、フランス、ドイツへと移住していきました。イランに残ったユダヤ人共同体は、独自の習慣を持ち続けることになります。
教えるための情報
プリムの祭りは、ユダヤ教の暦の中で最も楽しいイベントです。伝統的な祝い方にはカーニバルのような雰囲気があり、パーティをしたり、歌ったり、食べたり、プリムの劇をしたり、もうあらゆる楽しいことをするのです。大人も子供も仮装します。また、貧しい人々に贈り物をする習慣もあります。
この祝祭の起源は、エステル記にあります。クセルクセス1世(ヘブル名アハシュエロス)の治世、紀元前480年頃に起きたできごとが背景となっています。ユダヤ人絶滅計画を立てた宰相、ハマン。彼の計画は、ペルシャ妃となったエステル(へブル名ハダサ)というユダヤ人の少女、そして彼女の叔父であるモルデカイによって、挫(くじ)かれました。
学者の中には、旧約聖書の中になぜエステル記が含まれているのか疑問視する人もいます。なぜなら、宗教的な側面がなく、神という言葉が出てこないからです。しかしながら、この話には霊的な意味が詰まっています。多神教社会で唯一なる神を信じるユダヤ人は、モーセの教えを固く守っていたので、疎外され迫害されていました。ハマンの陰謀で絶滅の危機が迫ったとき、エステルはユダヤ教の教えに則って断食をし、その陰謀を阻止する決心をします。主は彼女の信仰に応答し、ご自分の選びの民を奇跡的な方法で救われたのです。この奇跡を通して、多くのペルシャ人がユダヤ教に改宗したと言われています。
学びの進め方
このステーションのリーダーはエルテル妃の役になり、生徒たちをお客さんとして王宮に招きます。男性のリーダーなら、アハシュエロス王の役になり、エステルの夫の目線で物語を話します。エステル記をよく読んでおいてください。
ファンファーレとともに生徒を王宮へ招き入れ、床か、マットやクッションの上に座らせます。アシスタントは王宮の召使い役となり、静かにお菓子を配ります。そして召使いの目線でエステルの物語を話します。エステル役のリーダーは、自分がモルデカイとどのような関係だったか、彼のもとを去って王宮に入るのがどれほど恐ろしいことだったか、また、ミス・ペルシャ・コンテストに出るために、特別待遇を受けて驚いたことなど、そして、王妃に選ばれたときの喜びを語り、その地位を使ってイスラエルの民の窮地をどうにかして救いたいと思ったことを語ります。
また、ハマンのユダヤ人絶滅計画を知ったときの恐怖、同胞を救うために起こした行動、呼ばれていないのに王の前に出た時の恐れや、王がユダヤ人を救う命令を下したときの安堵感を、臨場感をもって語ります。
そして、「神は、ご自分の民に対して、誠実であられます。私は、唯一なる真の神を、心から愛しています」という言葉で、閉じます。
雰囲気づくり
壁紙や大きな段ボール箱を開いて、宮廷の庭や柱を描き、背景を作ります。できあがったら、その背景の前に、王座のような大きな椅子を置きます。もしあまり装飾のない椅子なら、豪華に見えるようにクッションを置いたり、ベルベットの布を敷いたりしてみてください。そして、観葉植物を置き、子供たちが座るためにクッションやマットを置きます。
衣装
エステル妃役のリーダーは、床につく長さの、淡い色の長袖の服を着ます。その上に、ひざ丈の、明るい袖なしの服を重ねます。鮮やかな色のベルトを2回以上腰に巻いて前で結びます。王冠は厚紙で作り、金色の布をかぶせてください。あるいは、長い布やレースで頭を覆い、金色のひもを巻いてもいいでしょう。イヤリング、ブレスレット、ネックレス、アンクレットなど、できるだけたくさんのアクセサリーを着けましょう。
王宮の召使い役は、ひざまでか足首までの飾りのないチュニックを着て、腰にひもを巻き、サンダルを履きます。アクセサリーはいくつかつけてもいいですが、頭の覆いは必要ありません。
食べ物
プリムの祭りは、悪人ハマンにイスラエルが勝ったその「甘く心地よい勝利」をお祝いします。その勝利を味わうため、世界中のユダヤ人家庭で、甘い物、特に、すりごまとはちみつを合わせたハルヴァを食べます。その作り方や食べ方はいくつかあります。このステーションでは、ハルヴァをピーナツバターのようにクラッカーにつけて食べましょう。塩けが薄く、味のついていないクラッカーにはちみつを塗り、ごまを散らして食べます。
子供ひとりにつきクラッカー3枚、ハルヴァ1さじずつくらいを準備します。それに、桃のネクターも用意してください。
知っていましたか
- ペルシャ帝国では、郵便制度が高度に整備されていました。配達人は馬などの動物も使い、驚くべき速さで手紙を届けました。
- ペルシャ人は豪華な祝宴を開くことで有名です。祝宴では、食事、装飾、余興のためにもの惜しみをしませんでした。客はベッドや長椅子に横になり、他では例を見ない金の杯を使って飲みました(エステル記1章6、7節)。彼らは所有する杯の数を誇りにしていました。ギリシャがペルシャを征服したとき、その金の杯や器の多さに驚いたほどです。
- 王が臣下に与えうる最高の栄誉は、王自身が着た服をその臣下に着せることでした。
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