No.052 神の国とアブラハムの選び

No.052 神の国とアブラハムの選び

創世記12章1節
主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」

「バベルの塔」事件以降、「サタンの国」は全地に広がっていました。人々はもはや、天地の創造者、唯一なる神を忘れたかのようでした。主なる神は、そんな世界に神の国を復興するため、メソポタミアのウルの人アブラムを選んで契約を結ばれます。それは、アブラムとその子孫を世界の祝福の源とするという契約であり、アブラムの子孫から、「サタンの頭を踏み砕く方」キリスト(3:15)が出るという契約でした。以後、聖書の歴史はこの契約を軸として展開し、神の御子キリストを焦点にして進んでいきます。

それにしても、主はなぜ、契約を結ぶ相手としてアブラムを選ばれたのでしょうか。

ひとことで言えば、主にはアブラムを選ぶ理由がありますが、アブラムには選ばれる理由はありません。では、主の側にどんな理由があったのか。それは、人にはわかりません。人の考えを越えています。率直に言えば、創造主のご勝手です

人の目からすれば、アブラムが選ばれる理由は見つかりません。彼は偶像礼拝の町に育ちました。父テラ一族はカルデヤ人の町ウルに住み、異教の神々に仕えていたとあります(ヨシ24:2)。アブラムはごく普通の人で、地位、知識、富も名声もありません。しかも、妻サライは不妊で、高齢になっても跡継ぎの子どもさえいません(11:30)。ただ、セムの家系を受け継いでいるということは確かです。セムの祝福はテラの家系に流れています。しかし、なぜセムの中で彼だったのかはわかりません。

ただ、こうは言えます。アブラムは選ばれた結果、主の声に従う信仰を持った(11:31、12:4)と。アブラムは選ばれたから、主の命令に従えたのであり、主に従ったから、「選ばれた者」になったのです。つまり、主に選ばれた者は、主に従うのです。主に従う者は、主に選ばれているのです。主にとって、理由と結果、選びと従いは表裏一体です。

主はアブラムに「父の家を出て、わたしが示す地へ行け」と命じられました。

「父の家」は偶像礼拝の家、「主が示す地」は祝福の地です。一人の人アブラムがこの命令に従ったことで、神と人との間に祝福の契約が結ばれ、キリストにつながる救いの計画が始まりました。この従いはアブラムには人生の大転換、神の国の歴史においては金字塔です。主がアブラハムを「わたしの友」(イザ41:8)と呼ばれるのも頷けます。

ところで、神の選びには一貫した原則があります。その一つは、小さい者を選ばれるということです。「この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです」(Iコリ1:26-29)。アブラムもその一人です。世の基準では、アブラムは取るに足らない人でしたが、選ばれたことで、偉大な信仰者に変えられました。選ばれること、そして選びへの従順が、人を偉大にします。

誰であれ、主の前に「私は無に等しいものです」と心から認め、主に従うなら、その謙遜と従順が主に選ばれた者であることを保証します。選ばれているから、謙遜かつ従順になれるのです。