No.063 契約を切る
- 2020.05.29
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記15章9-21節
「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持って来なさい。」彼はそれら全部を持って来て、それらを真っ二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。……さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。(9、10、17)
12、13章で語られた契約が、ここで正式に結ばれます。しかし、その場面は家畜の血が流れ、内臓が飛び出た、ぞっとする光景です。裂かれた体、流された血は、この契約にはいのちがかけられており、破るならいのちが要求されることを意味します。このように真っ二つに切り裂かれるぞ、ということです(エレ34:18)。それゆえ、契約を結ぶことを「契約を切る」と表現をします。
契約が成立したのは、暗闇の中、煙の立つかまどと燃えている松明が、切り裂かれたものの間を通り過ぎた時です。このかまどと松明は、契約を結ぶ一方の当事者である主の臨在を象徴しています。本来は、当事者双方が通らなければなりません。アブラムにひどい暗黒の恐怖が襲ったのはそのためでしょう。しかし、アブラムは通りませんでした。主だけが間を通られました。それは、主がこの契約を成就する全責任を負われる、つまり、契約を破った者が受けなければならない罰を、主だけが受けられるということです。
アブラハムの子孫イスラエルは、この後、モーセの時にモーセ契約(祭司の王国、祝福と呪いの契約)、ダビデの家とダビデ契約(永遠の神の国の契約)を結びます。しかし、これらの契約は、イスラエルによって成就されることはありませんでした。最終的に、イスラエルから出た神の御子キリストに引き継がれました。つまり、キリストが十字架上でご自身の体を切り裂き、血を流されることで、これらの契約を成就されたのです。地上のすべての民族は、キリストによって祝福されることになりました。キリストこそ神の国の祝福の源です。
そして、キリストの血によって結ばれたのが「新しい契約」です。非イスラエル人(異邦人)も、キリストを信じることで、アブラハムの信仰による子孫となり、「新しい契約」の祝福に入れられました。私たちクリスチャンも、アブラハム契約の「祝福の源」となる務めを受けたのです。
主はアブラムと祝福の契約を結び、それを繰り返し更新して「忘れてはいないよ」というメッセージを伝え、最終的にご自分の身を切って血を流し、すべての約束が成就することを保証されたのです。アブラムはそれを信じて、その受け手になりました。その信仰がアブラハムの名を大いなるものにしたのです。
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