ステーション7 ハスモン家(マカベア家)のエルサレム

ステーション7 ハスモン家(マカベア家)のエルサレム

歴史的背景

イスラエル人は歴史の中で、父祖アブラハムの遊牧生活から始まり、モーセに導かれて荒野を放浪し、ヨシュアに率いられて「約束の地」を獲得して定住し、士師の時代を経て、ついに王を持つようになりました。

このおよそ千年の間に、神の民イスラエルは大きな変化を経験しました。家畜の群れを飼う遊牧生活の時代は、移動する先々で天幕を張って礼拝を捧げていましたが、やがて約束の地で農民、職人、商人となり、神の都エルサレムに神殿を建設し、そこを礼拝の中心地としていったのです。イスラエルの民は、他民族との土地の境界と、部族ごとの割り当て地を、神から明確に示されました。
イスラエルは、士師(さばきつかさ)主導の政治から王権政治に移行しました。抑圧と欠乏の時代を通り、自由と繁栄の時代も経験しました。国民が誠実に神に仕え、異教の民の手から救われ、唯一神信仰の民族として統一を保った時代もありました。また、唯一神を礼拝する独特な儀式や習慣のゆえに、周囲の偶像礼拝の民に嫌われ、虐げられることもありました。さらに、自らも自分の神に不忠実であったために、厳しい懲らしめを受けることもありました。そして遂には、約束の地から離散することになってしまったのです。

他の民族に同化して唯一神信仰を捨てたらどんなに楽だろうか、という誘惑はいつもありました。しかし、イスラエルの民は2000年にもわたり、神は唯一であるというメッセージを失うことなく、伝え続けます。

イスラエル統一王国はソロモンの死後、紀元前931年に分裂し、衰亡への道を辿(たど)ります。そして、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ギリシア、ローマという大帝国に支配されました。

まず紀元前722年、北王国がアッシリアに侵略され、何千というイスラエル人が虐殺されました。生き残った人々も他地域に移住させられたり、南王国へ逃げたりし、その地に残されたのは最も貧しい人々だけでした。また、アッシリアの王サルゴンは、多くのイスラエル人をアッシリア帝国拡張の最前線へ送り出しました。

次に、紀元前586年、バビロニアの王ネブカデネザルがエルサレムを陥落させ、南王国の人々をバビロンに連行しました(バビロン捕囚)。彼らは祖国から引き離され、突然、強制的に異国の地に移住させられたのです。詩篇137篇が、捕囚の民の苦しみを記録しています。「バビロンの川のほとり そこに私たちは座り シオンを思い出して泣いた。街中の柳の木々に 私たちは竪琴を掛けた。それは 私たちを捕らえて来た者たちが そこで私たちに歌を求め 私たちを苦しめる者たちが 余興に『シオンの歌を一つ歌え』と言ったからだ。どうして私たちが異国の地で 主の歌を歌えるだろうか」(詩篇137篇1~4節)。

しかしながら、多くのユダヤ人はエレミヤの助言に従い、新しい土地に根を下ろしました。自分たちの敗北は神の御心であり、ネブカデネザルや異教の神々が強いからではないと信じていたので、ユダヤ人たちはバビロンの神々に心惹かれることはありませんでした。彼らは家と土地を買い、果樹を植え、捕囚の身でも事業を立ち上げました。当時商売に用いられた石板を考古学者が解読したところ、ユダヤ人の立場が改善されていったことがわかりました。バビロニアはユダヤ人に社会的自由だけでなく、自分たちの宗教活動を管理する権限も与えていたようです。

紀元前539年、ペルシャのキュロス2世(聖書ではクロス王)がバビロンを陥落させ、現在のイランからトルコ、エジプトまでの地域を領有する大帝国を築きます。キュロスは被征服民族を寛大に扱い、寛容な宗教政策をとりました。紀元前538年、ユダヤ人に祖国帰還命令が出され、神殿の再建や礼拝の再開が許可されました。しかし、長年バビロンに捕囚となっていたイスラエルの民にとって、ユダヤに戻るという決断は、簡単ではありませんでした。捕囚中に築き上げたすべてを捨て、貧しい祖国に戻り、不確実な未来に向かい合わなければなりません。しかもそれは、長く危険な旅となります。それでも、非常に多くのユダヤ人が熱い思いで立ち上がりました。彼らはエルサレムに帰還し、神殿の再建に乗り出しました。いわば古代のシオニストです。捕囚の地に残った人々も、喜んで彼らの再建計画を支援しました。

帰還したユダヤ人は、神殿の基を据えました。感謝にあふれ、モーセの律法に喜んで従おうとしました。再び礼拝といけにえを捧げるようになり、聖書に定められた祭りを祝いました。しかし、神殿が完成したのはそれから15~20年後でした。

紀元前459年、アルタクセルクセス王が、新たにエズラにユダヤ人の祖国帰還を保証します。
そのころ、バビロンは、ユダヤ教の一大中心地となっていきました。学者エズラは、バビロンにいる間、トーラー(律法)を研究しました。王はエズラに、ユダヤ教とエルサレムでの宗教生活をトーラーによって整えるよう、命じていたのです。ユダヤの伝統では、ユダヤ人を絶滅から救ったのはエズラだとされています。タルムードには、もしモーセが最初に登場していなかったら、エズラこそが神から律法を受け取るのにふさわしい人物だとさえ、書かれています。ユダヤ人が異教の民族に完全に同化してしまわずに済んだのは、エズラが異教の女性と結婚していた人々に対し、結婚の解消という厳しい対処をしたおかげです。そして律法が祭司階級だけでなく一般庶民のものとなったのは、エズラが公で律法を読み聞かせたからです。ユダヤ教徒の間では、エズラは神の律法を心から愛した人として敬愛されており、エズラが詩篇119篇を書いたと考える学者もいます。

この時までに、約5万の捕囚の民がユダヤに帰還しました。しかし、西アジア(中東)やエジプトに残ったユダヤ人共同体も多くありました。故郷に戻ったユダヤ人の熱心な働きと情熱にもかかわらず、民族の将来は明るくはありませんでした。ユダヤ人たちはその後何世代にもわたって、異邦人に支配され抑圧され続けたのです。

教えるための情報

ペルシャ人は、イスラエルを200年にわたって支配しました。次にイスラエルの支配者となったのは、ギリシア(マケドニア)のアレクサンドロス大王でした。紀元前333年、エルサレムは大王によって征服されます。アレクサンドロスは融和政策を取り、服従する民族には独自の伝統的な生活を続けることを許しました。ユダヤ人にもその宗教的慣習に従うことを認め、安息年には税金の免除さえしました。エジプトにアレクサンドリアという都市を建設し、ユダヤ人の移住を促し、移住者にはギリシア人と同じ特権を与えました。ヘブル語聖書をギリシア語に翻訳した『七十人訳』は、この共同体で作られたのです。

アレクサンドロス大王が死んだとき、王には跡継ぎがなく、帝国は3つに分裂しました。本国のアンティゴノス朝マケドニアと、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアです。イスラエルは、エジプトとシリアの間に位置し、まず最初の100年、プトレマイオス王朝の一部となり、平和と宗教的自由を享受しました。残念なことに、比較的平穏だったこの時代、ユダヤ人はヘレニズムに心を惹かれました。ヘレニズムとは、東洋とギリシアの伝統が混ざったもので、人々はギリシアの言語、慣習、衣服、話法、価値観、哲学、芸術、文化を取り入れたのです。イスラエルのユダヤ人さえ、特に上流階級の人々は、ヘレニズム化し、彼らの中には子弟に最高のギリシア教育を受けさせる者もいました。

紀元前198年、ユダヤの国は、セレウコス朝のアンティオコス・エピファネス(アンティオコス4世)の手に落ちます。彼は王国のヘレニズム化を自らの使命としていました。冷酷傲慢(ごうまん)な独裁者であり、ユダヤ教を非合法化し、割礼を施すことや安息日を守ること、律法を学ぶことまでも禁じました。人はすべてギリシアの神々に仕えなければならないという命令を出し、ギリシア人の宗教を神殿に持ち込みました。それに抵抗しユダヤ教の慣習を守り続けた多くのユダヤ人が、辱めを受け、虐殺されました。

しかしながら、アンティオコスの部下たちは、エルサレムの西、リディアに近いモディンという町に到着したとき、致命的な過ちをします。祭壇を築き、服従のしるしとして豚をいけにえに捧げるよう、ユダヤ人に命じたのです。それに従ったユダヤ人のヘレニズム主義者たちは、マタティアという名の高齢の祭司に殺されました。彼は屈辱と迫害にもはや耐えられなかったのです。マタティアは5人の息子たちとともに兵士を集め、急襲や夜襲によって、アンティオコス軍に大勝利を収めました。

紀元前164年、マタティアの息子ユダが、シリアの将軍リシアスを倒し、エルサレム神殿を奪還し、もう一度イスラエルの神の礼拝の場としました。ユダヤの全地から、シリア人とその宗教を一掃しました。そして、2年経ってようやく、ユダ・マカバイが、律法に従って生活するユダヤ人の権利を回復しました。ユダヤ教を禁じるすべての勅令が取り消され、ユダヤ人の宗教的自由が回復されました。

ここで、ユダヤ人を絶滅しようとするアンティオコス4世の企みがもし成功していたら、世界の歴史はどうなっていたか、想像してみてください。紀元前2世紀、ユダヤ教は世界唯一の一神教であり、それが根絶されたら、キリスト教が生じるための根は、存在しなかったことになります。メシヤの道備えをしたバプテスマのヨハネも存在しなければ、メシヤの到来を歓迎したベツレヘムの羊飼いも存在しなかったのです。エルサレムには生ける神の神殿が存在せず、初代教会を建て上げたユダヤ人も存在しなかったことになります。さらには、後世のユダヤ教の豊かな遺産も存在しなかったでしょう。ヘブル語聖書も失われ、新約聖書も書かれなかったでしょう。現代の私たちも、唯一神信仰を守るために戦ったマカバイの戦士に、大きな恩恵を受けているのです。

学びの進め方

このステーションのリーダーは、マカベア戦争に参加したユダヤ人の役を演じます。アシスタントはもうひとりのユダヤ人役です。生徒たちを宿営に招き入れ、静かに聞くよう指示し、キャンプファイヤーの周りに座らせます。そして、マカベア戦争の話を、参加した戦士としての視点から語ります。ユダヤ人に対する攻撃がどれほど憎悪に満ちていたか、もしアンティオコス4世の支配が続いていたら、ユダヤ人と唯一神信仰はどうなっていたかを語ります。話に引き込むために、生徒たちの意見や考えを尋ねます。ユダヤ人が神に誠実を尽くし、ギリシア化を阻止するために、どんなに大きな犠牲をはらったかを説明します。最後に、霊と真をもって再び神を礼拝できるようになった喜びを語って、話を閉じます。

雰囲気づくり

大きな段ボール箱を開き、スポンジを使って茶色や黒の絵の具をつけて、背景を作ります。黒のマーカーを使って大きな石を描き、町の城壁らしくします。手ごろな岩と木の枝の束を持ってきて、キャンプファイヤーの場所を作ります。懐中電灯を輪の中に置き、木の枝をその上にかぶせ、赤や黄色の薄紙を使って火の雰囲気を出します。植物を置いて城壁の外にいるという情景を作ります。可能なら、部屋の電気を暗くして、夜の雰囲気を出してください。

衣装

長いチュニックを着て、腰にひもを結び、足は裸足でもサンダル履きでもかまいません。メイクや泥を使って、顔や手、足が汚れている感じにして、現実味を加えます。