イシュマエルの誕生
- 2020.06.01
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記16章1-4、10-16節
アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの土地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷のエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。彼はハガルのところに入った。そして彼女はみごもった。(3、4)
祝福の契約の継承者がいないという現実が、高齢のアブラム夫婦に重くのしかかっていました。主は、「ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない」(15:4)と言われたのに、何年たっても子は生まれません。そこで夫婦は自らの思い付きを決行します。それは、サライの提案から始まりました。自分の女奴隷ハガルを夫に与え、後継ぎを産ませようとしたのです。これが後世に大きな禍根を残すことになります。
問題は二つです。一つは、主の約束の成就の時を待ちきれなかったこと、もう一つは、主の約束を人間の知恵や手段で実現しようとしたことです。
75歳のサライは主の約束を信じ切れませんでした。「神は私を子供が産めないようにしておられる」(2)と勝手に思い込みます。そしてアブラムの子を、いわば「代理母」を使って得ようとしました。まるで神の約束はなかったかのように、あるいは主の約束は自分で実現しなければならないかのように、浅知恵を実行します。アブラムもサライの提案を受け入れました。アブラムは主の約束を信じてはいたのでしょうが、その成就のときを待ちきれず、自分の手で成し遂げようとしたのです。あるいは、自分から生まれる子が後を継げばいいのであって、サライの子である必要はないと考えたのかもしれません。
こうしてハガルにイシュマエルが生まれます。主は、アブラムから出た子ゆえに、その子孫は「数えきれないほどになる」と祝福されます(10)。そして、十二部族が出て、大いなる国民となる(17:20)とも約束されます。しかし同時に、すべての兄弟に敵対して住むとも予告されました(12)。
今日、アラブ人は、自分たちの先祖はイシュマエル(イスマイール)であると主張しており、コーランでは、イサクではなくイシュマエルがアブラハムの後継者になっています。そして確かに、イシュマエルの子孫アラブ人は、イサクの子孫ユダヤ人は敵対しています(全部ではありません)。しかし実は、聖書にもコーラン(クルアーン)にも、アラブ人がイシュマエルの子孫であると明記された箇所はありませんし、その系図もありません。
ここで重要なのは、イスラムの主張が真か偽かの議論よりも、アブラムがイシュマエルを生んだことで、イスラムにアブラハム(イブラヒーム)とつながるとっかかりを与えてしまったことです。つまり、アブラムとサライは、二千数百年後に「偽りの一神教」が結晶化する「核」を生み出してしまったのです。
現実に対する恐れから行動し、先走って人間のこざかしい知恵と力で神の計画を成就しようすれば、問題を深刻化させます。祝福の契約に信頼し、神の時が熟するまで誠実に主に仕えて待つことの大切さを、この出来事は教えています。本来、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝3:11)のです。
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