身を低くすることが事態を収拾する

身を低くすることが事態を収拾する

創世記16章4—16節
そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」また、主の使いは彼女に言った。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。」(9、10)

アブラム・サライ夫婦がハガルを「代理母」にしたことは、将来に禍根を残しただけでなく、近々にも問題を引き起こしました。

一人の男と女が一体となるという結婚の定め(創2:24)は、男女を創造された神がそう決められたことであり、人間がその時代の状況や都合で勝手に変えることは許されません。人間の理屈で一夫一婦制を破るなら、必ず家庭や社会に不必要な問題を起こすことになります。そして、その問題を複雑化させます

女奴隷を妻としたアブラムの家でも、即、その問題が発生しました。まず、主人の子を身ごもったハガルは優越感から、サライを見下すようになります。それは女の性(さが)でしょう。それに対し、サライはハガルの横柄な態度に腹を立て、夫に訴えます。これは女の嫉妬でしょう。自分から提案にしたことなのに、その結果、どういう事態に陥るか、全く読めていなかったのです。妻の提案を安易に受け入れたアブラムも、思わぬ展開に手を焼き、「好きなようにしなさい」と突き放しました。男の無頓着、無責任です。

結局、サライは主人の権力でハガルをいじめ、追い詰めます。ハガルは耐え切れず、荒野に逃げ出しました。女一人では絶望的です。荒野で死を待つのみです。アブラムも初めての子を見殺しにするしかありません。三者それぞれ気が滅入るような事態です。一夫一婦制を壊すと、こういうことになるのです。三人の中で正しい者は誰もいませんが、一番弱い立場の人間が犠牲になります。

この事態に主が介入されました。ハガルの胎に宿っているのはアブラムの子だからです。主は使いをハガルに送り、「女主人のもとに帰り、身を低くしなさい」、そうすれば、「子孫は数えきれないほどになる」と約束されました。それが主の問題収拾の仕方でした。ハガルはその約束に信頼し、サライのもとに帰って、「身を低くする」ことを学びました

問題の発端はアブラムとサライなのに、なぜハガルがへりくだらなければならないのか。ハガルは犠牲者ではないか。確かに、人間の理屈を通せば、そうです。しかし、主は、ハガルが「身を低くする」ことで、居場所が回復され、おなかの子の命が守られ、子孫が繁栄するようにされたのです。ハガルにとって、「身を低くする」以外に祝福の道はありませんでした。

一方、アブラム夫婦にとっては、自分たちの不始末の結果を、主が代わりに処理してくださったことになります。

主にとっては、アブラムとサライから出る子以外に、契約の継承者はありえません。二人は、「主の民」を創出するために選ばれた夫婦です。主はこの夫婦を守られます。