主の選びから外れたロトの歩んだ道
- 2020.06.26
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記19章1—28節
そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。(1)
主に選ばれた人アブラハムは神の祝福を選び取り、主の用意された道を歩んでいきます。一方、神の選びから外れた人ロトは、自らの意志で神の選びから外れた道を歩んでいきます。
ロトはアブラハムと別れた後、近づいてはならないソドムに近づき、心が主から離れていきました。「ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人であった」(13:13)。そんな町に近づけば、その悪影響は避け得ません。しかし、ロトはソドムの近くにテントを張り(13:12)、ソドムに住んで王たちの戦いに巻き込まれ(14:12)、九死に一生を得ても懲りずに娘たちをソドムの男に嫁がせ、ソドムとの関係を深めていきました(19:14)。
体が罪の世界に近づけば心は主から離れ、心が主から離れれば心も体も罪の世界に染まっていきます。罪の性質を宿す人間の心は、罪が創り上げた社会や文化に引き寄せられやすいのです。近づいてはならないものに近づかない。その最良の方策は、近づくべき方に近づくことです。主に近づき、主と交わる。これがアブラハムとロトの違いです。
さて、ソドムに滅びが迫りました。アブラハムのとりなしを受けた御使いがロトの所に来て、家族を連れて逃げよと告げます。でも、ロトは逃げ出すのをためらいました(16)。ソドムで築いた地位、財産、人間関係を惜しんだのでしょう。主の警告には即座に従うべきです。逃げなければならない時に、ためらっていてはならないのです。ためらうと大きな痛みや禍根を残します。御使いはぐずぐずしているロト家族の手をつかんで、町の外に連れ出してくれました。主の憐れみです。そして、「いのちがけで逃げなさい」(17)と命じます。
今日、世界の滅びが近付いています。その警告はいろんな分野から発せられています。しかし、人々は不安には感じながらも、「逃げる」ことを先延ばしにしています。19世紀のことですが、コペンハーゲンの劇場から火が出て、多くの人が死にました。ピエロが舞台に立って、「火事だ」と叫び、必死に避難を呼びかけたのですが、観客にはその必死さが滑稽で、笑い続けて逃げなかったのです。キルケゴールはその日のことを、「世の終わりもまたそのようであろう」と書き残しています。「冗談のように」しか思えず、逃げずに滅んだロトの婿たちと同じです(14)。
さて、御使いはロト家族に「うしろのものを振り返るな」「立ち止まるな」と命じました。主の一方的な恵みを受けて、罪の世界から救い出された者は、後ろを振り返ってはならないのです。しかし、ロトの妻は振り返って、塩の柱となりました。彼女は主の警告を聞いても、真剣には受け止めませんでした。ユダヤの言い伝えでは、ソドムは彼女の故郷だそうです。ソドムに彼女の宝があったのでしょう。
滅びから救い出された今、振り返ってはならないものは振り返ってはならないのです。努力して築いたものが消え失せるのは耐えがたいことです。しかし、罪の生活を懐かしんだり惜しんだりしてはなりません。一緒に滅んではなりません(ルカ17:30-32参照)。
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