祝福の契約の使者
- 2020.08.07
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記24:48
そうして私はひざまずき、主を礼拝し、私の主人アブラハムの神、主を賛美しました。主は私の主人の兄弟の娘を、主人の息子にめとるために、私を正しい道に導いてくださったのです。
アブラハムはイサクの妻を見つける使者として、「財産を管理している家の最年長のしもべ」を選び、「嫁選びの条件」を託し、誓いをさせて、兄弟一族がいる故郷に送り出しました。体の中で一番痛みやすく大切な部分に手を入れさせる儀式は、しもべへの最大級の信頼を表しています。この嫁選びがいかに重要であるかを認識させるためです。
しもべはアブラハムの親族ナホルの町を目指しました。その町で祈りによってリベカを見つけ、彼女が「主の選び」の女性だと確信すると、リベカの兄ラバンに会って事の次第を告げます。ナホル一族は他の神々に仕えていましたが(ヨシ24:2)、アブラハムが仕える唯一神のことは知っていて、「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません」(50)と了承します。リベカ自身も、まさに「生まれ故郷、父の家を出て、主が示す地に行く」決断をします。アブラハムが主の語りかけを受けたときと同じです(12:1)。
こうしてイサクはリベカと結婚し、アブラハムから受け継いだ祝福のレールに乗りました。アブラハムに、唯一神信仰と契約の継承において妥協はありませんでした。「約束の地」にとどまることにも妥協はありませんでした。アブラハムは異教のただ中にあって、契約共同体を築き、祝福を受け継がせるという使命を完遂したのです。
日本人クリスチャンも、異教の風土の中で、祝福の契約共同体を築いています。大事なのはこれを継承させることです。
ところで、私たちは信仰継承とよく言いますが、実は聖書には、信仰を継承させる、信仰を受け継ぐという表現は出てきません。「継承する」「相続する」「受け継ぐ」の対象になっているのは、旧約聖書では祝福、土地、家、国、財産、誉れ、義などであり、新約聖書においては神の国、永遠のいのち、祝福、栄光などです。アブラハムがイサクに継承させたのも、祝福の契約です。私たちが受け継ぐのは、信仰そのものというより、主に仕える祝福、主の教え従う喜びであり、祝福に満ちた生活スタイルや習慣・文化です。
信仰継承というと、祝福から信仰だけを切り離して継承するイメージがあります。実際、私は若いころ、「神の国の祝福を受けよ」より、「主を信じよ、祈れ、礼拝を守れ、聖書を読め、御言葉を行え」といったメッセージを繰り返し受けました。そして、親になると、子供にも同じようなことをしてきました。子供には窮屈で堅苦しく、律法主義的だったようです。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」(Iコリ13:13)が、信仰、希望、愛は互いに切り離せません。私たちがアブラハムから継承している祝福は、そのすべてです。そしてキリストがもたらされたのも、神の国の祝福と喜びです。「神の国は……義と平和と聖霊による喜び」(ロマ14:17)です。
信仰継承より、祝福継承というほうがワクワクします。まず信仰があって祝福が約束されるのではなく、祝福の約束があって信仰が生まれてくるのです。
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