祝福の継承者イサクの争わない生き方
- 2020.08.10
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記26章1—22節
あなたはこの地に、滞在しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。それはわたしが、これらの国々をすべて、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たすのだ。(3)
イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。(12、13)
イサクの人生は、一言でいえば、アブラハム契約の祝福を継承する人生でした。その契約通り、豊かな祝福を体験していきました。イサクの名の意味は「笑う」でした。「イサク」には、人間の無力と卑屈の笑いと、神の祝福の笑いの両方が含まれています。彼はまさに、そんな笑いの生涯を送ったといえましょう。
イサクは、契約の主に信頼しました。飢饉が起こったときも、「エジプトへは下るな。わたしがあなたに示す地に住みなさい」という主の命令に従いました。主が祝福される所にとどまることが、祝福の第一条件です。これがイサクの祝福の人生の始まりでした。父アブラハムが「わたしが示す地へ行きなさい」(12:1)という主の命令に従ったのと同じです。
しかし、その矢先、ゲラルのペリシテ人を恐れ、妻リベカを妹と言ってしまいます。ゲラルの王アビメレクはそれが嘘だと知り、イサクを咎めました。アブラハムのときにも同じことがあり、主の警告の記憶が残るアビメレク家(次世代の王か)は民に、リベカに近づくなと厳命します。イサクに弁解の余地がありません。卑屈で惨めな「笑い(イサク)」でした。
主はそれでも、イサクを祝福してくださいました。「その地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た」のです。それは、父アブラハムがエジプトで受けた「不条理な祝福」「不可抗力の恵み」と同じです(5)。主の祝福の「大笑い」です。
しかし、神に祝福される者は妬まれます。ゲラルのペリシテ人に、井戸をすべて土で塞がれ、土地からは追い出されます。イサクは抗議することなくゲラルの谷間に移り住み、父が掘った井戸をさらに掘り起こします(18)。しかし、ゲラルの羊飼いの嫌がらせは続きます。イサクのしもべが新しい井戸を掘るたびに、彼らが横取りするのです。井戸は砂漠においては生命線であり、定住に必要不可欠な条件です。また、相当深く掘らないと水脈には到達しません。なのにイサクは争わず、場所を変えては井戸を掘り続けました。強靭な忍耐力です。
イサクは穏やか性格ですが、彼の争わない強靭さはどこから出てくるのでしょうか。主はイサクに「あなたを祝福する。この地に寄留せよ」と言われました。主は必ず祝福してくださると確信するがゆえの強靭さです。結果的に、イサクは争わずに井戸を手放していくことで、ゲラルの人々を祝福することになっています。そして、主からより広い土地を与えられ、そこでさらに大きく祝福されました。
すべて、アブラハムから引き継いだ「祝福され、祝福する」という契約の通りです。イサク、大笑いです。
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