祝福の継承者……エサウかヤコブか
- 2020.08.17
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記25章20-34節、27章1-28章9節
それでヤコブは、「まず、私に誓いなさい」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。(25:33、34)
契約の継承者は主の選びです。三代目として選ばれたのはヤコブでした。
主は双子を身ごもったリベカに告げられます。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える」(25:23)。誕生後、選ばれなかった兄エサウは、自らの意志で主の選びから外れる道をひた走り、選ばれた弟ヤコブは、強引に選びの道を突き進みます。しかし、両者ともそうしているという意識はありません。主の選びと人間の自由は神の目には一つです。人間の自由な行動の結果が神の選びであり、主の選びが人間の自由な行動を方向付けます。アブラハムとロトの時と同じです。
エサウは、祝福の契約の継承権(長子の権利)を軽視し、煮物と引き換えにヤコブに売りました。そして親のイサク・リベカに相談せず、異教のヘテ人の女たちを妻とします。それは、母リベカの「悩みの種」となり、「生きているのが嫌になる」と言わしめるほどのことでした(26:35、27:46)。さらに、自分を騙し長子の権利と祝福を奪い取ったヤコブを憎み、殺そうとします(27:36、41)。こうしてエサウは、選ばれない者であることを自ら明らかにしていきました。直情的で愚かなのです。
一方、ヤコブはアブラハム契約の祝福を継承すべく主に定められていましたが、狡猾な策で「長子の権利」を兄から奪い、さらに父イサクをも欺いて「祝福」を横取りしました(27:28-29、35)。それでも、選びを受けた者としての道を歩み、エサウのようにカナン人から妻を娶らずに、リベカの兄ラバンの娘と結婚します。しかし、信仰によってではなく、「ヤコブ」という名のとおり「押し退けて」(27:36)、悪巧みで「祝福」を継承した分、祝福とともに、苦しみと恐れの人生を歩むことになります。
両者とも、祖父アブラハムや父イサクが持っていた忠実な信仰はありません。エサウとヤコブ、二人は何が違っていたのか。ただ一つ、「祝福」の継承権の重要性をどこまで認識していたかです。エサウは長子権を軽んじました。「不滅の神の御栄え」を「滅ぶべき」ものと交換し(ロマ1:23)、朽ちないものを朽ちるものに変えた男です。ヘブル書は彼を「俗悪な者」(12:16)と呼んでいます。
ヤコブは「祝福の契約」の重要性を教えられていました。しかし、「祝福」は自分の欲望を満たすための手段にすぎず、自分が「祝福の源」になるという視点はありません。主ご自身ではなく、主が下さる祝福だけを求めています。ヤコブにとって「祝福の契約」はまるで偶像です。それでも、その重要性の認識だけはあったというのが、ヤコブの強みでした。
「祝福の契約」は、選ばれた者に継承されていきます。ヤコブにとって、主との出会い、主への献身は、その後になります。
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