先祖の国に帰れ
- 2020.09.04
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記31章
「わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油をそそぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。」(13)
祝福の契約の継承者ヤコブは、ラバンの家に滞在すること20年、契約通り多くの祝福を受けました。しかしその間、ヤコブが主とのつながりを深めたようには見えません。それでも主は、「ヤコブの神」と呼ばれることが御名を汚すことにならないよう、ヤコブの信仰と品性を整えようとされます。ヤコブは父祖と同じように、「ともにおられる主」を体験することになるのです。
主はまず、20年前の「べテルの誓願」をヤコブに思い起こさせます。「わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油を注ぎ、わたしに誓願を立てたのだ」。ヤコブは忘れていたとしても、主は忘れてはおられませんでした。
そして、「あなたの先祖の国に帰りなさい」と命じ、改めて「わたしはあなたとともにいる」(3)と約束されました。ラバンの家を去り、「約束の地」に帰るべき時が来たのです。
ヤコブは家族を連れ、全財産とともに「約束の地」へと旅立ちます。逃げるようにして去ったヤコブを、ラバンは一族を率いて追いかけます。そのとき、主はラバンの夢に現れ、「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ」(24)と警告されました。ヤコブに危害を加えるな、祖国カナンに帰らせよ、ということです。主は、両者が契約を結んで平和裏に別れられるよう、介入されたのです。主はヤコブの知らないところで、ヤコブを守られました。
アブラハム契約は、「約束の地」から切り離せません。ヤコブの信仰の原点は「先祖の国」にあります。「約束の地」で、契約はアブラハムからイサク、ヤコブへと受け継がれ、ヤコブの信仰もそこで培われます。ヤコブの子らも「約束の地」で祝福を継承し、アブラハムの神を子孫に受け継がせていくのです。
ヤコブが体験するべき神は、ヤコブ個人の神ではありません。アブラハム、イサクの神、契約共同体の神なのです。ラバンの家での20年は、まだ個人的な神の段階にあったのではないかと思います。それが霊的停滞を招いたのでしょう。
西欧の個人主義の中で培われたキリスト信仰は、自分の個人的な神を強調する傾向があります。私も若い時は、実存主義神学に立ち、私個人の主体的体験を尊び、キリストの体という共同体を重視してはいませんでした。しかし、個人的な主体(主観)的体験に土台を置く信仰は揺れ動きます。また個人主義ではキリストの祝福は広がりません。そんな私の信仰が揺れなくなったのは、受け身的にキリストに選ばれて、神の国に入ったと実感したときであり、信仰が豊かになり始めたのは、「祝福の源となる」というアブラハム契約を理解したときでした。
聖書が大切にしているのは契約共同体であり、共同体によって継承される祝福と信仰であり、世界の祝福の源となる役割です。もし霊的停滞を感じるなら、ヤコブのように「先祖の国」に帰るべき時が来ているのではありませんか。
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