先祖の国に帰るには
- 2020.09.07
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記32章1-21節
ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その所の名をマハナイムと呼んだ。(2)
ヤコブには、先祖の国に帰るにあたり、解決しなければならない問題がありました。エサウとの和解です。和解なしには約束の地には帰れず、祝福を受け継ぐことはできません。
長子権を兄エサウから奪い、逃亡して20年の歳月が流れましたが、時間は問題を解決してはいません。ヤコブはエサウと向かい合い、その怒りを解き、和解しなければなりませんでした。エサウの気性と怒りを思うと、ヤコブの心は不安にかき立てられます。
神はそんなヤコブに御使いたちを送られました。ヤコブは彼らを目撃し、「神の陣営(マハナイム)」(2)と呼びました。神はヤコブを選ばれたがゆえに、無条件にヤコブを守られています。それをヤコブに確信させられたのです。
それでも、ヤコブの恐れは消えません。前もってエサウに使者を送り、エサウを主人、自分をしもべと呼び、ご機嫌伺いをします。家畜や奴隷を差し出す用意があることを示し、エサウの怒りを宥めようとしたのです。
それは何の役にも立ちませんでした。使者はただ、「エサウが四百人を連れて来る」という報告をもたらしただけでした。ヤコブは非常に恐れ、宿営を二つに分け、リスクを半分にしようします。恐れに支配されて考え、行動するのです。四百人を率いて来たエサウの方も、ヤコブを警戒していたのかもしれません。
しかし、ヤコブには祈ることのできる神がいました(9-12)。彼は呼びかけます。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ」。異教の地にいても、ヤコブは、自分の神がどなたかを正確に知っていたのです。これが、選びから外れたエサウとの決定的な違いだろうと思います。
次に、受けた恵みには値しない者であることを謙遜に認めています。主と契約を結び、一方的な祝福を受けて今日の自分がいることを自覚しているのです(10)。
そして、エサウへの恐れを正直に告白しています。「どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。……私は彼を恐れているのです」(11)。自分の罪、弱さ、恐れを認められる謙虚さこそ、主を知る者の強さです。
そして、最後はアブラハム契約を持ち出します。「あなたは私の父祖に約束されたではありませんか」という訴えです。これは、イスラエルの信仰者に代々用いられていく訴え方です。
ところが、ヤコブはこのように祈りながらも、なお正面からエサウに向かい合おうとはせず、姑息な手段をとります。贈り物を三つのグループに分けて用意し、エサウの心を段階的に懐柔しようとました。「私を快く受け入れてくれるかもしれないと思ったから」(20)だというのです。
しかし主は、選んだ者を立て上げるために、忍耐強く付き合ってくださいます。
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