異教の神々を断ち切る
- 2020.09.18
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記35章
それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」(2、3)
ヤコブは、目的なくシェケムに滞留し、無用な災いを招きました。しかし主は、その窮地を救い出し、「立って、ベテルへ上れ」と指示されます。ベテルは、神と出会い、石の柱を立てて誓願した、信仰の原点というべき土地です。
ヤコブはまず、「異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい」と命じます。ヤコブは、ラバンの家で、一族が異教に染まったままなのを看過してきたようです。そんな霊的無頓着はアブラハム、イサクの代にはないことでした。家族はヤコブの言葉に従って異国の偶像を差し出し、ヤコブはそれを処分します。ここで、異教に対し取ってきた曖昧な態度を改め、偶像崇拝を断ち切ったのです。神の選びの民としての信仰の一新です。ヤコブはやっと、族長としてのリーダーシップを発揮しました。
ところで、この「身をきよめ、着物を着替える」とは、「新しい契約」の時代においては、罪を告白し、洗礼を受け、キリストを着て、新しい人として生きることです。
さて、ヤコブ一族の悔い改めの表明は、神を喜ばせました。神は、周囲の異民族に恐怖を下し、ヤコブ一族を追跡しないようにされました。ここでも、神はヤコブの知らないところで、一族を守ってくださったのです。アブラハム契約を受け継ぐ者への恵みです。
ヤコブはベテルに来ると、祭壇を築き、「私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神」(3)を礼拝しました。ヤコブの信仰がたどたどしいものであっても、神は父イサクとともにおられたように、ヤコブともいつも共にいてくださったのです。そして神は、20年前ヤコブが立てた誓願にも応えてくださいました(28:20-22)。これもまた、契約ゆえの恵みです。今度は、ヤコブが自分の約束を果たす番です。彼は祭壇を築いて礼拝しました。
神は、ヤコブの悔い改め、信仰の刷新、祭壇と礼拝を受け入れ、再びに彼に現れて、20年前のベテルでの契約を更新してくださいました。こうして、祝福の契約はアブラハム、イサク、ヤコブ、そしてイスラエル十二部族へと継承されていくのです。
神は、アダムの反逆によって失われた神の国の祝福を、アブラハムとその子孫イスラエルを通して回復されます。イスラエルを無条件に祝福し、その祝福を世界の諸民族に広げられます。イスラエルがどうであろうと、決して放棄されることのない計画です。それゆえ、主は忍耐強くイスラエルを訓練し、見捨てられることは絶対にありません。神は「永遠の愛」でイスラエルを愛されます(エレ31:3)。
私たち異邦人クリスチャンも、キリストを通して同じ契約を主と結びました。イスラエルが見捨てられないのは、私たちが見捨てられない保証でもあります。
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