契約が見えていないヤコブ一族

契約が見えていないヤコブ一族

創世記37章をお読みください。
彼(ヨセフ)の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。(4)

アブラハム、イサク、ヤコブと継承されてきた祝福の契約を、ヤコブの子十二人の中で誰が受け継ぐのか。全員です。ところが、ヤコブ一族には、自分たちは契約の民、神の選びの民だという自覚がありません

ヤコブの家庭内で、偏愛する、思い上がる、つけ込む、悪口を言う、妬む、逆なでする、憎む、殺意を持つ、弟を奴隷に売りとばす、という恐ろしい事態が発生します。なぜそんなことになったのでしょうか。

それは、ヤコブも子らも、アブラハム契約の重要性が見えなくなっていたからです。ヤコブは主から、土地の約束、子孫が増やされるという約束、諸民族の祝福の源となるという使命を受けました(28:13-14、35:11-12)。ヤコブの子らは将来、世界を祝福する「イスラエル十二部族」になるのです。しかし、彼らの間で、この神の計画は全く共有されていません。

では、なぜ彼らは見えなくなったのでしょうか。

まず、ヤコブがヨセフへの偏愛のために見えなくなりました。ヨセフはヤコブにとって最愛の妻ラケルの忘れ形見です。彼だけに与えた長服は偏愛の象徴です。兄弟の中で一人を溺愛したらどうなるか、わかりきったことですが、ヤコブは余りにも無思慮でした。結局、ヤコブはヨセフを手元から失うことになります。

年若いヨセフも、父に溺愛されて、自分が見えなくなりました。兄たちの気持ちも見えなくなっています。えこひいきしてくれる父にとりいる方法は心得ていて、兄たちの心を逆なでするような夢の話を平気で披露しました。事実でも言うべきではないことが分かっていないのです。

兄たちも妬みと憎しみで見えなくなりました。彼ら十人は、父に愛されなかった母レアや女奴隷の子供たちです。彼らは、ヨセフを妬み、憎み、殺意を持つようになります。

こうして、皆が見えなくなっている状態で、恐ろしい事件が起こったのです。兄たちは、ヨセフを殺しはしませんでしたが、イシュマエル人に銀貨20枚で売りました。ヨセフはエジプトに連れて行かれ、パロの侍従長ポティファルの家の奴隷となりました。父ヤコブは最愛の息子を失い、何日も嘆き悲しみます。皆の目が閉ざされて、ヤコブの家は闇に閉ざされることになったのです。

本来、主の共同体を一つにするのは契約です。主との契約が、主の民のアイデンティティです。ヤコブ一族は、一族内の個人的立場や感情を越えた重要なものがあることを忘れています。主との契約を忘れると、自分の存在目的を失い、争い合うようになるのです。

ヤコブ一族が見えるようになったのは、13年後のことです。まずヨセフが長い奴隷と監獄生活の末、エジプトの宰相となり、神の摂理が見えました。次いで、ユダをはじめ、兄たちの目も開かれていき、悔い改めと赦しと和解の時を迎えます。神の国の祝福が継承され、広がるためには、「契約」が見えている人の存在が不可欠です。