祝福の契約を未来に繋ぐ
- 2020.10.02
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記39章をお読みください。
彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。(3-5)
主はヨセフを祝福されました。主はアブラハムとの契約に忠実であり、「ヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり」(2) ました。「主が共におられる」ところ、そこが神の国であり、そして祝福の源となります。
ヨセフは兄たちに売られて、エジプトのポティファルの家で奴隷となりましたが、主が共におられたので、なすことはすべてうまくいき、主人に愛され、家と全財産の管理を任されました。主と主人に忠実なヨセフは、主人の妻に誘惑されても屈しませんでした。しかし、彼女の逆恨みと讒言によって、ポティファルの怒りを買い、投獄されてしまいます。
ヨセフは真実であり続けたにもかかわらず、災難を被ったかのようですが、主の祝福を失ったわけではありません。ヨセフの真実に対する主の祝福と報酬は確かです。ただ、不条理な人生を呪わず、誠実を尽くした結果というのはすぐには出ません。誘惑に負けた報いはほどなく受け取りますが、誘惑に勝ったがゆえの報酬は見えにくく、また時間がかかるものです。
さて、監獄でも主は変わらずヨセフと共におられ、ヨセフがなすことをすべて成功させてくださいました。そこでも監獄の長に信頼され、すべてを管理するようになります。
ヨセフは、理不尽な仕打ちを受けて奴隷となり、無実の罪で囚人の身となっても、その境遇を受け入れ、自暴自棄にならず、恨まず、失望せず、置かれた所で主には忠実、主人には誠実を尽くしました。そして、自分のいる所を「神の国」としたのです。それが祝福の契約を受け継いでいる者の生き方です。
もう一つ、アブラハム契約の通りになっていることがあります。それは、諸民族はアブラハムの子孫によって祝福されること、アブラハムの子孫を祝福する者は祝福され、呪う者は呪われる、ということです。ポティファルがヨセフに、「その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福され」ました。「それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上に」(5)ありました。しかし、無実のヨセフを投獄してしまったことで、ポティファルの家はおそらく祝福を失ったと思われます。
ところで、人間は苦難を忍耐の末乗り越えても、二度目の理不尽な不運にぶつかると立ち上がれなくなり、人をも自分の運命をも呪いたくなるものです。しかし、ヨセフは打ちのめされませんでした。三度、四度と患難や悲劇が襲っても、屈しなかったでしょう。それは、主が共におられること、主の前に正しく歩んでいるという確信があるからです。そこには必ず主の計画があると信じることができたからです。それが、祝福の契約を継承している者の生き方です。
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