祝福を受け継ぐ一族へのテスト
- 2020.10.09
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記42、43章をお読みください。
「あなたがたのうちのひとりをやって、弟を連れて来なさい。それまであなたがたを監禁しておく。あなたがたに誠実があるかどうか、あなたがたの言ったことをためすためだ。もしそうでなかったら、パロのいのちにかけて言うが、あなたがたはやっぱり間者だ。」(42:16)
これからヨセフによって、「祝福の契約」を受け継ぐ一族へのテストが始まります。ヨセフの復讐を目的としたテストではなく、ヤコブ一族の和解のためのテストです。
飢饉に苦しむヤコブの息子十人は穀物を求めてエジプトに下り、そこで宰相ヨセフに面会します。兄たちが自ら「私たちは正直者です」(42:11)と名乗ると、宰相は自分の正体を明かさず「あなたがたに誠実があるかどうか、あなたがたの言ったことをためす」(16)と宣告し、末の弟ベニヤミンを連れてくるように命じます。
これは、エジプトでヤコブ一族が民族として成長を遂げるために受けなければならなかったテストです。このテストに合格すれば、ヤコブの子らは和解でき、「イスラエル十二部族」の土台が形成されることになります。このテストをパスできなければ、「祝福の源」となるべき「契約の民」は解体することになります。
ヨセフは兄たちの正直と誠実を願っていたでしょうが、兄たちに課したテストは小さな嘘も許されない厳しいものでした。なにしろテストする宰相は兄たちのことをよく知っており、兄たちは宰相の正体を知らず、何がテストされているのかさえもまったくわからないのです。
このテストにヤコブ一族がどう向かい合ったか。兄たちは「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ」(21)と悔い改めの心を持ち、「神は、私たちにいったい何ということをなさったのだろう」(28) と畏れを感じています。彼らはエジプトから帰郷すると、父に事実をそのまま報告します(34)。父ヤコブはベニヤミンを失うことを恐れ、それがまだ現実になっていないのに不幸になっています(36)。
ヤコブがベニヤミンをエジプトに送ることをためらううちに、時は過ぎていきます。ここで事態を大きく変えたのは、ユダの説得とヤコブの決断でした。
ヤコブは全能の神に信頼し、「私も、失うときには、失うのだ」と、ベニヤミンをエジプトに送り出す決心をしました(43:14)。この覚悟が、すべてを取り戻す大きな一歩になります。「私も、失うときには、失うのだ」。これは、ヤコブの口から出た言葉の中でも、最も潔い言葉です。
兄たちはベニヤミンを連れてエジプトに戻り、ヨセフの家の管理者に前回の経緯を正直に告げました(19-22)。一方、ヨセフは兄たちの様子を間近に見聞きして、「かつて彼らについて見た夢」(37章)が実現しているのを知ります(42:9、43:26)。兄たちを自邸に迎えて饗応するヨセフには、もはや彼らをテストする様子は見えません。神の計画を悟り、その計画の中で、家族個々人がどのように用いられたのかを理解しました。ヨセフの霊的洞察力、ヤコブの覚悟、兄たちの誠実と正直が、一族を和解に導いていったのです。
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