祝福の源となる一族の和解
- 2020.10.16
- 三つのテーマで読む創世記(下)
創世記45章をお読みください。
私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。(5)
ユダの真実な言動に動かされ、ヨセフはついに自分の身を明かします。
これまでエジプトの服装をし、エジプトの言葉で語り、エジプトの宰相として振舞っていましたが、兄たちを裁く優位な立場から降りて、赦しを宣告し、ヤコブ一族の一員に戻ったのです。ここからは「祝福を継承する契約の民」として、神の計画を語り始めます。四人の母親から生まれた十二人の兄弟が、それぞれに神を畏れ、誠実を示し、悔い改め、悟り、赦し合うことで一つになりました。こうして主がアブラハムに約束された祝福の計画が進展します。
ヨセフの赦しの宣告は、キリストの赦しの宣言の型です。キリストは自分を十字架につけた人々を赦されました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)と。兄たちも、自分で何をしているか分からずにヨセフをエジプトに売り、神の計画を遂行していました。ヨセフは神の計画を悟り、その計画の中で兄たちや自分が神にどのように用いられたのか理解し、兄たちを赦したのです。
ヨセフが奴隷に売られたのは、前もってエジプトに遣され、一族を救うためでした。「神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです」(45:5)。
そして、子孫を生かすためでした。「あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです」(7)。
ですから、ヨセフをエジプトに先に遣わしたのは、ヨセフを奴隷として売った兄たちではなく、「実に、神なのです」(8a)。キリストを十字架につけたのは、ユダヤ人ではなく、父なる神である、というのと同じです。
神はヨセフを「全土の統治者とされ」(8b)、ヤコブ一族を迎え入れる権威を授けられました。それは、父なる神がイエスを神の国の王、大祭司とし、永遠の住まいに迎え入れる権威を授けられたのと同じです。
ところで、ヨセフと兄たちとの関係は、イエスとユダヤ人宗教指導者との関係にも似ています。兄たちがヨセフを嫉妬し、ヨセフを外国人に引き渡したのは、ユダヤの宗教指導者らがイエスを妬み、ローマの手によって十字架につけたのと相似しています。また、兄たちが悔い改め、ヨセフの前にひれ伏し、ヨセフは兄たちを受け入れ、和解したのは、終わりの日に、ユダヤ人が悔い改め、イエスをメシアとして告白し、救われることになるのと呼応しています。ヨセフと兄たちの出来事は、キリストの十字架と再臨の日を予告する型になっているようです。
歴史の背後には「契約」(主の計画)があること、それを悟ることで教会はキリストの役割を果たすことになります。個人の人生も同様です。
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