アブラハムの契約の成就を四百年後につなぐ

アブラハムの契約の成就を四百年後につなぐ

創世記50章をお読みください。

ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。(24、25)

イスラエルは元来、他の民族とは異なり、国や歴史や文化で一つになった民族ではありません。契約で一つになった「契約の民」です。「契約の民」として、国を築き、歴史や文化を創っていきます。将来、一旦国を失い、離散し、母語を失うことになりますが、それでも契約がイスラエルのアイデンティティを保ちます。
その契約は「約束の地」と切り離すことはできません。「約束の地」は、「すべての民族の祝福の源」となる土地です。そして、将来、そこに永遠の神の都エルサレムが置かれ、そこから「神の国」の祝福が世界に広がることになります。
ヤコブは死に臨んで、「約束の地」に帰ることを望みました。単なる望郷の念ではありません。自分の亡骸を、アブラハムが所有したマクペラの墓に埋葬することで、将来、子孫が先祖の地に戻る日が来るという希望を残したのです。主の契約に対するヤコブの信仰の表れです。ヨセフは父の願い通り、遺体をミイラにして荘厳な式を行い、マクペラに葬りました(13)。
ヨセフ自身もまた、臨終のとき、イスラエルの子らに、父祖の地に帰る日が来るという希望を語り、自分の遺骸を携え上るように指示しました。およそ四百年後、出エジプトに際し、モーセがヨセフの骨を運び出します。そして、「イスラエル人がエジプトから携え上ったヨセフの骨は、シェケムの地に、すなわちヤコブが百ケシタでシェケムの父ハモルの子らから買い取った野の一画に、葬った」(ヨシ24:32)のです。こうして、ヤコブとヨセフの遺体は、イスラエルがカナンに所有した二つの土地に埋葬されました。彼らは、そこでヨシュアの日だけでなく、復活の日を待ち望んでいるのです。
『創世記』は、未来への希望で閉じられました。それは、イスラエルが主に約束された土地を所有する希望であり、夜空の星や地のちりのように増えて「大いなる国民」となる希望であり、祝福を豊かに受けて世界の祝福の源となる希望です。つまり、アブラハム契約に基づく希望です。
さて、イスラエルの歴史の記録は、一旦、長い空白の時代に入り、『出エジプト記』の語りが始まるまでの四百年の時を待つことになります。しかし、その間、イスラエル人はエジプトの奴隷となって、苦役に呻き、嘆きます。
イスラエルの神は、契約の神です。ご自分の民を忘れてはおられません。「神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされ」ます(出2:24)。そして、沈黙を破り、契約を成就すべく、父祖の地へとイスラエルを導かれることになるのです。
アブラハムの子孫は、メシアの到来の日まで、神の国への果てしない旅を続けます。