ステーション9 ベツレヘム
- 2020.06.17
- アブラハムの子供たち
歴史的背景
マカバイ戦争の勝利によってハスモン王朝が成立し、ユダヤ全土がユダヤ人自身の統治下に入りました。セレウコス王朝の勢力は追放され、ハスモン王朝が軍事的・宗教的支配を広げていきました。サマリヤとイドマヤも征服し、ダビデ王国の版図と同じくらいの領土を支配するようになっていきました。しかし、その領民をユダヤ教に強制改宗させるという暴挙に出てしまいます。
王朝が高潔であったのは初めだけで、ハスモン家は腐敗を免れることができませんでした。ヘレニズムの影響力は、抑制されてはいたものの、ユダヤ人の生活に浸透していきました。わずか数年後は、堕落、陰謀、分裂が広がっていました。紀元前63年、ハスモン朝の後継者候補ヒルカヌスとアリストブロスが王座をめぐって争い、両者ともローマ皇帝ポンペイウスに近づいて、自分の後ろ盾になってくれるように、嘆願しました。ヒルカヌス派は、ポンペイウスにエルサレムの門を開き、それが国民に最大の利益をもたらすと考えました。その結果、ポンペイウスは、何の抵抗を受けることもなく神の都に入城することができたのです。
アリストブロスは捕らえられ、これを機に、ユダヤはポンペイウスのもと、ローマ帝国の支配に入り、400年にわたって、抑圧されることになります。
ポンペイウスは聖なる神殿を隅々まで歩きまわり、至聖所にまで入って、ユダヤ人の神経を逆なでしました。しかし、彼の死後、ローマの執政官となったユリウス・カエサルはイスラエルの民に好意的であり、ユダヤ人に自由を与え、その地を属州の一つにしました。ユダヤ人は宗教上・司法上の自律を許され、また、ポンペイウスに接収されシリア人のものになっていたヤファ(ヨッパ)の港を取り戻すこともできました。紀元前44年、カエサルが暗殺されたとき、帝国内で最もその死を悼んだのはユダヤ人でした。
カエサルの死の1年後、ヘロデ大王がユダヤ地方の支配者となりました。彼は狡猾(こうかつ)な政治家であり、冷酷で、反逆は絶対に許さない男でした。自分に対する陰謀があるという妄想に取りつかれ、自分の妻と二人の息子を殺害してしまったほどです。その一方で、ヘロデ大王は建設マニアであり、数々の大規模な建設工事を行っています。その中で最も有名なのが、第二神殿の再建・拡張工事です。
第二神殿拡張工事は、当時のユダヤ人にとって祝福に見えましたが、手放しでは喜べないことでした。というのは、千年前、偉大な王ダビデは神殿を建てることを許されませんでしたが、それは多くの血を地に流してきたからだ(第一歴代誌22:8)と、ユダヤ人たちは知っていたからです。ヘロデ大王にも、この聖なる神殿を建てる資格はないと思ったことでしょう。それでも、巨大な神殿がほぼ完成すると、ラビたちは、「ヘロデ神殿を見ずして、美しいものを見たと言うな」と、賛辞を残したのです。
紀元後(A.D.)に入ると、ユダヤの政治的状況は混乱を極め、ユダヤ教の4つの分派が社会の空気を支配するようになりました。その4派とは以下のとおりです。
- サドカイ派:ユダヤ社会の貴族・特権階級で、紀元前200年頃に組織化されました。神殿を中心として活動し、儀式を重んじ、その多くはヘレニズム化していました。紀元70年のエルサレム陥落・神殿崩壊とともに、歴史から姿を消しました
- エッセネ派:ヘレニズム化とローマ支配に抵抗し、荒野に退いて共同体を形成していました。荒野で禁欲的な生活をしながら、メシア到来のために準備をしていました。紀元前200年頃に登場し、やはり紀元70年のエルサレム陥落の頃に姿を消しました。
- パリサイ派:マカバイ戦争に加わったハシディズム(敬虔派)の流れを汲む人々です。第二神殿奉献後まもなくして登場しました。ローマ支配の混乱の中でも聖書的なユダヤ教を守り、今日知られるラビ・ユダヤ教の基盤となりました。クリスチャンにはよく誤解されますが、実際には、彼らは神に身を捧げ、平和を愛した人々でした。
- 熱心党:紀元1世紀に始まった、極めて政治的なグループです。愛国心に燃え、ローマに税金を払うべきではないと主張しました。ローマ帝国の支配はユダヤ人の尊厳を貶(おとし)めるものであり、ローマに従うことは背信行為だとしたのです。ローマから民族を解放するためなら戦いをいとわない人々でした。
教えるための情報
紀元1世紀の初め、敬虔な若い木こりが、優れたパリサイ派の教師から律法を学ぶため、エルサレムへやって来ました。彼はヒレルといい、やがて最高のユダヤ教学者の一人になります。トーラーに身を捧げ、聖書を学ぶことを心から愛しました。彼には、次のような逸話が知られています。
ヒレルの稼ぎはごくわずかでしたが、稼いだ半分は学費として払い、残り半分を自分と家族のために使っていました。ある日、授業料を払えずにいたヒレルは、教室に入れず、偉大な教師たちの議論を聞くことができませんでした。そこで、中で語られている神の言葉を聞くために、屋根に上り、大空の下で横になりました。それは金曜日の夕方で、おりしも雪が降り始めました。朝になり、教師は部屋に太陽の光が入って来ないので、どうしたんだろうと思いました。よくよく見ると、屋根の上にヒレルが、3キュビト積もった雪に埋もれて横たわっているではありませんか。教師たちはすぐに彼を運び入れ、風呂に入れ、油を塗り、火のそばに座らせました。これらは安息日にしてはならないことでしたが、教師たちは「この男は、人に安息日を犯させたけれども、その権利がある」と認めたのです。
ヒレルは、隣人を愛せよという神の命令に従い、人々を愛しました。そのことは、次のような逸話からも知られます。
ひとりの異教徒がヒレルにこう言いました。「私が一本足で立っている間に、律法の全部を教えてくださるならば、ユダヤ教徒になりますよ」。ヒレルは答えました。「あなたがしてほしくないことを、隣人にしてはならない。これが律法のすべてで、残りはその注釈だよ。さあ、行って学びなさい」。
ヒレルの人生の指針は、同時代のパリサイ人が共有していたものですが、まとめると次のようになります。「アロンの弟子となり、平和のうちに生き、平和を追い求め、人を愛し、人をトーラーのもとに連れてきなさい」。
ヒレルの態度は、もうひとり、当時の若いラビを思い起こさせます。ヒレルと同様、優しい心を持ち、神と人を愛し、平和を求めるように教えた人物です。神の命令でどれが最も大切か尋ねられたとき、申命記6章の最も偉大な祈り、シェマを用いて答えました。「シェマ イスラエル、アドナイ エロヘイヌ、アドナイ エハド(聞きなさい、イスラエル。主は我らの神、主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい)」。
その若いラビはさらに、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という2番目の命令も、最初のものと同じくらい大切だと語りました。この二つより大切な命令はない、と。
このラビの名はイェシュアでした(イエスのヘブル語名です)。両親は貧しいながらも、ダビデの家系であり、モーセの律法を忠実に守る敬虔なユダヤ教徒でした。息子には生後8日目に割礼を受けさせ(創世記17章10節)、聖書に規定されている捧げ物を神殿に捧げ(レビ記12章8節)、イスラエルの祭りを守り、過越祭には毎年、エルサレムに上りました。
イェシュアは幼少期、おそらく泥レンガの小さな家に住んでいたと考えられます。ダイニング、粘土製の窯のある部屋、寝室、そして家畜のスペースがあるだけでした。大半は母とともに過ごし、母から学んだと思われます。この時代、女性にとって、家庭を切り盛りするのは、大変だったに違いありません。イェシュアは母とともに夜明けに目覚め、共同の井戸へその日の水を汲みに行き、その日のパンを焼くために穀物を挽く手伝いをしたことでしょう。家畜の世話をし、穀物を集め、毎週、洗濯をしに泉に行きます。市場では、母親が村の女性とおしゃべりをしている間、同年代の子供たちと遊んでいたかもしれません。
イェシュアの子供時代、母が最も大切にしていたのは、いと高き神とつながる喜びを息子に伝えることだったにちがいありません。タルムードには、人は母の乳を飲んだときから、律法を知るべきだと書かれています。神への愛は、ユダヤ人の生活のあらゆる場に浸透しており、母親は、律法への献身の模範を、言葉で教える前から子供たちに見せました。
さらに親は、子供たちが神を畏れ、関心を持つように、様々な活動をしました。例えば、安息日の灯の美しさを見て、メズザーの神聖さを感じ、神への献身を思い起こしました。灯のきらめくハヌカの祭り、活気に満ちたプリムの祭り、毎年エルサレムに上る過越祭は、1世紀のユダヤ人の子供が心待ちにしていたものです。ロシュ・ハシャナー(新年)やヨム・キプールの荘厳さを体験し、木の枝でできたスコット(仮庵)で寝る喜びを味わい、神に身を捧げるという生きた教訓を学びました。当時の歴史家たちは次のように述べています。「ユダヤ人の子供は、父であり世界の創造者である神を認めるように、産着の頃から訓練されているのだ」。まさに的を射ていた言葉です。
雰囲気づくり
このステーションでは、1世紀の家のような感じに教室を飾り付けます。壁紙や大きな段ボール箱を開いたものを使って、泥レンガの壁の背景を作ります(挿絵を見てください)。質感を出すために、ベージュ色と黒の絵の具をスポンジにつけて色付けします。プラント、クッション、果物、毛糸や穀物の入ったかごを置き、くつろげる雰囲気にします。ベニヤ板やボール紙に動物を描いたものを置くと、アクセントになります。
衣装
リーダーとアシスタントは、聖書時代の典型的な服を着ます。長いチュニック(どんな色でもOK)を着て頭に覆いをかぶり、ベルトを締め、サンダルを履きます。
赤ちゃんの人形に産着を着せます
赤ちゃんの人形を手にし、産着を着せ方を子供たちに見せます。人形の手を上げさせて、最初の布を人形の胸のところに持ってきます。少し重ねながら、上から下に巻いていきます。巻き終えたら、その上に次の布を置き、端っこが隠れるようにもう1回巻きます。順番に下に向かって巻き、足を巻いたら、胸に戻ってきます。人形の手を下げて、もう1枚の布を胸のところに当て、腕が産着の中に納まるように巻きます。全身がぴったりと覆われるまで続けます。
子供に人形を渡し、同じ手順で産着を巻けるように助けます。産着を巻いたら、毛布を床の上に置き、足が角のほうを向くように赤ちゃんを寝かせます。足の下にある布の角を持ち上げて、胸のところに持ってきます。右の角を持ち上げて左側に持ってきて、体の下にたくしこみます。左の角を持ち上げて胴体に巻き付け、毛布が解けないように体の下に挟み込みます。これで赤ちゃんは、暖かい産着に包まれて安心して眠れます。産着を記念として取っておくユダヤ人の家族もあります。布に美しい模様や文字を刺繍(ししゅう)し、その子が成人したとき、聖書カバーにして渡すのです。
-
前の記事
ステーション8 ハッピー・ハヌカ!(後半) 2020.06.03
-
次の記事
ステーション10 ガリラヤ(前半) 2020.06.24