ステーション10 ガリラヤ(後半)
- 2020.07.01
- アブラハムの子供たち
教えるための情報
ユダヤ人の大工の息子として生まれた主イエスは、父の見習いとなって仕事を学んでいたと思われます。1世紀の職人は、共同体の中で必要とされる役割を果たしていました。より熟練した技術が必要になれば、他の地域から職人を呼び寄せることもありました。ユダヤ教では、人や動物の像を作ったり描いたりすることが禁じられていたので、大工や石工の仕事は、同時代の中東の職人のものとは異なっていました。また、職人や熟練工は、すぐ見てそれとわかるように、自分の仕事のシンボルとなるものを身につけていました。例えば、大工は耳に木片を挟んでおり、仕立屋は服に針をつけていました。
ユダヤ教はどんな職種にも敬意を払っていたので、賃金の低い雑用でも、不名誉ではありませんでした。しかし、より貴(とうと)い職業だと考えられていたものがありました。例えば、サンダルづくりや木工です。ただ皮なめしのような臭い仕事は卑しいものとみなされていました。皮なめし職人は町の外の、風下に当たる場所で仕事をしていました。また、香水の商人はいかがわしいという固定観念がありました。
ユダヤ教は、子供たちの教育に重きを置いていたので、イエスは5、6歳の頃にはシナゴーグの学校に入っていたと思われます。この時代、パリサイ派はすでに、国中のすべての男子に公教育を受けさせるプログラムを始めていました。授業時間は固定されていましたが、夏は生徒が疲れてしまわないよう短くなりました。教師たちは、神の尊い知識と神の言葉を生徒に伝えることを誇りにしており、非常に尊敬されてもいました。忍耐、誠実、柔和な厳しさをもって、教え、指導し、生徒を悪から守り、生徒が過ちを犯したときは優しさをもって矯正訓練をしました。嫌悪感からではなく、罪の結果を恐れる心から、罪を避けるように指導していたのです。
子供の聖書教育は、レビ記から始まり、律法と預言者の書全体を扱いました。初期の教育は記憶が中心であり、何度も繰り返すことによって覚えさせました。5歳から10歳の間、テキストとして使うのは聖書のみで、10歳、11歳になる頃には、聖書の多くの部分を暗唱できることが期待されました。10歳から15歳までは口伝の伝統を学び、15歳からは、研究に向いている生徒は高等教育機関へ進み、その時代のラビや賢人たちと神学の議論をしました。
教育のどの段階においても、親や教師は努力を惜しまず、明確に御言葉を教え、知性を育て、いと高き方である神との不変の関係を築かせようと、力を注ぎました。
学びの進め方
この課のリーダーは、主イエスと一緒に育ったナザレのイスラエル人の役になります。アシスタントの人は、もうひとりの友人か近所の人の役を務めてください。
リーダーはこう話します。
「みなさんに、ナザレで一緒だった私の幼馴染(なじみ)、イエスについてお話ししよう。イエスが小さいとき、ナザレでどんな生活を送っていたか、想像できるかな。村はとても貧しかったんだ。でもイエスの家庭は愛と喜びで満ちていたので、貧しさに気づかなかったんじゃないかな。彼は家畜の群れを養い、ゲームをし、そして大工の父と一緒に働き、毎週シナゴーグの礼拝には欠かさず通っていたよ」。
「ところでイエスは小さい頃、どんな服を着てたかわかる?」
何人かに答えてもらい、希望者にはイエスが着たのと同じようなチュニックを着せ、ベルトを締めてやります。チュニックの作り方は、この章の最後に載せてあります。
「当時の布はもっと粗いものだったけど、デザインや色はまさに同じような感じだよ。じゃあ、足を開いて立ってくれるかな」。
足の間から後ろの裾を前に持ってきてベルトにたくし込むと、ズボンのようになります。
「裾がそのままだと仕事がしにくいときには、こうやって、ふんどしスタイルにしていたんだよ」。
「じゃあもう一度座ってもらえるかな。僕はイエスと一緒にシナゴーグの学校に通っていたんだ。ラビたちはどんな感じだったか、また、子供たちはどんな科目を習ったかなどを、話すよ」。
リーダーは、「教えるための情報」から、ラビたちや、学校の学びの様子について、話してください。
ここで、子供たちに「ろう板」を見せます(この章の最後の「ろう板の作り方」を見てください)。子供たちにろう板を回し、字を書かせます。
「当時(1世紀)は紙が非常に高価で、子供たちはきちんと書けるようになるまで、紙を使うことを許されなかったんだ。だから、ろう板に書いた。鉄筆か竹ペンで、ろうの上に文字を書いて、日の当たるところにしばらく置くと、ろうが柔らかくなって文字を消せるんだよ」。
そして、主イエスが大人になったときのことを、次のように話してください。
「ガリラヤの人々が集まってきて、イエスの教えを喜んで聞いていた。病気の人、盲目の人、耳の聞こえない人、その他の障害を持った人が癒されたんだ」。
「僕は御言葉を読んで、人の子がその翼に癒しをもって立ち上がるという聖書の言葉を信じていた(マラキ4章2節)。『翼』という言葉は、ヘブル語でことば遊びのように使われていて、房のついた祈りのショールの角も同じ言葉で表すんだ。『人の子』という言葉は、ヘブル語でメシアを指す語として用いられていた。だから、もしメシアならその人の外套や、祈りのショールの縁には癒しがあると、人々は信じていたんだ。12年間長血を患っていた女性も、メシアであるイエスの外套の縁に触れたら、癒されるということを知っていた。もっと詳しく知りたかったら、マルコ5章25~34節を読んでほしい」。
最後に、イエスの、死と復活について、話してください。
「イエスがローマ人の手で殺されたという知らせを聞いたとき、僕がどれほど衝撃を受けたことか。人々も嘆き悲しんだ。しかし、しばらくして、イエスが予告していた通り、死からよみがえったという知らせが届いたんだ。自分もみんなも、どれほどの喜びに満たされたことか」。
雰囲気づくり
このステーションでは、1世紀の家のように教室を飾り付けます。壁紙か大きな段ボール箱を開いたものを用い、泥れんがの壁のような感じの背景にします。質感を出すため、まず茶色い絵の具をつけたスポンジで色付けし、そのあと黒の絵の具で同じように色付けします。くつろげる雰囲気にするために、植物(本物でなくてもOKです)、クッション、果物の模型、毛糸や穀物の入ったかごなどを置くとよいでしょう。板やボール紙に動物を描いたものを貼ると、よいアクセントになるかもしれません。
衣装
ステーションのリーダーとアシスタントは、聖書時代の典型的な衣装を着ます。長いチュニック(どんな色でもよい)、頭の覆い、ロープやひものベルト、そしてサンダルという格好です。
服の作り方
主イエスが少年だったときに着ていたであろうデザインの服を作ります。綿や亜麻布などで、薄い黄褐色の布を、生徒の年齢やサイズに合わせて、2~3m準備します。年齢がばらばらであれば、違う長さで2つ作ってください。衣装の裾は、着る人のふくらはぎの真ん中くらいまでの長さにします。布を2つ折りにし、頭を入れるための穴を折り目の部分に開けます。それから、布を開きます。
茶色のマーカーを使って、端から25cmのところに、布の長い辺と平行に線を引きます。それから、端から30cmのところに、同じように線を引いてください。こうすると、幅5cmのラインができるので、クレヨンや布用の染料を使って、そのラインを塗ります。
布は着る人の腕の下あたりで重ねるだけで良いので、チュニックの横を縫う必要はありません。濃い茶色のひもや皮ひもをウエストに巻いて結びます。
ろう板の作り方
ホームセンターでベニヤ板を購入し、22cm×30cmに切ります。23cm×31cmのアルミホイル製の使い捨てフライパンを用意し、ろうを少しだけ溶かします。普通の調理用具は、ろうでだめになってしまうかもしれないので、使わないでください。また、ろうが調理台などにつかないよう、新聞紙や布で表面を覆います。
板の後ろに画鋲を刺し、板を溶けたろうにかぶせます。フライパンを冷水に浸け、ろうを固まらせます。画鋲をうまく使ってフライパンからろうをはがし、ろうが冷えて完全に固まるのを待ちます。もし、ろうの厚みが足りない場合は、同じ手順を繰り返してください。
知っていましたか
- イエスの時代、学校に通ったのは男の子だけだったと、長い間信じられていました。しかし、最近の考古学調査によると、女の子もまたシナゴーグの学校に通っていたことがわかりました。
- イエスの時代の子供たちは、こまや人形などのおもちゃが大好きで、様々なゲームも楽しんでいました。
- 1世紀のユダヤ人の女性たちは、今の時代と同じくらい、ファッションに気を遣っていました。多くの女性が、幾何学的な模様のついた外套や頭の覆いなど、スタイリッシュな装いをしていました。多くの宝石を身に着け、化粧や香水をつけることもありました。
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