ステーション11 西の壁(後半)

ステーション11 西の壁(後半)

教えるための情報

紀元70年、ローマ帝国によって神殿が破壊されたとき、神殿の外側の壁だけが残りました。ローマ人にとってみれば、その壁は崩すほどの価値がありませんでしたし、神殿の一部ではなく、神殿のある山を囲む壁の一部でしかありませんでした。しかしこの壁は、イスラエルの歴史上最も神聖な神殿の残りとして、ユダヤ人にとって最も聖なる場所になったのです。何世紀にもわたり世界中からユダヤ人たちが、イスラエルの神への祈りと感謝のために、「コテル・ハマーラウィー(西の壁)」に訪れました。コテルで捧げられる祈りは、まさに心の痛みを注ぎだすような祈りだったので、その場所は外国人によって「嘆きの壁」と呼ばれるようになりました。しかし、ほとんどのユダヤ人はその名を不適切と考え、ヘブル語では「嘆きの壁」とは呼ばれてはいません。

エルサレムがムスリムの支配下にあった千年間、西の壁がある地域は、アラブ住民のゴミ捨て場でした。ユダヤ人に対する意図的な嫌がらせです。1948年から1967年まで、コテルを支配下に置いていたヨルダンは、ユダヤ人が壁を訪れることを保証すると約束しておきながら、ひとりのユダヤ人にもそれを許可しませんでした。

「六日戦争」で旧市街がイスラエル支配下に入ったとき、イスラエル兵士たちは西の壁に集まり、喜びと感謝をもって壁に体を押し当てました。負傷した仲間も壁に運んで行き、壁に触れて祈れるようにしてやりました。ユダヤ人はその壁の割れ目に願いを書いた紙片を差し込む習慣がありますが、その最初のひとつは、イスラエルの防衛大臣であったモシェ・ダヤンのものです。それは、「イスラエルの家に平和が訪れ、それが長く続きますように」という祈りでした。

学びの進め方

ステーションのリーダー人は生徒に、コテル(西の壁)の歴史と重要性について話します。今日に至るまで、世界中のユダヤ人とクリスチャンが西の壁に祈るためにやってくること、またバル・ミツヴァ(成人式)などユダヤ人の大切な儀式の多くが歌と踊りで祝われることを伝えます。安息日の始まる金曜の夜になると、近くの聖書学校(ヘブル語でイェシヴァ)からユダヤ人の学生たちがグループで訪れ、歌い、年下の子を肩に担いで運びながら踊ります。今も昔も、コテルでは非常に多くの祈りが捧げられてきたのです。

クリスチャンが神に語りかけて祈るという習慣も、ユダヤ人から伝えられたものです。主イエスもユダヤの伝統的な仕方で祈ったのであり、「主の祈り」もその形式と内容において非常にヘブライ的です。1940年代、ある女性が、キリスト教の学校にただひとりのユダヤ人として通っていました。彼女は学校で何年も「主の祈り」を唱えてきましたが、10代の後半になって初めて、「主の祈り」がユダヤ人ではなくクリスチャンの祈りだとされていることを知り、驚いたそうです。

生徒たちは、定型の祈祷文に慣れていないかもしれませんが、自分の言葉で発する祈りであっても、祈祷文を読む祈りでも、御言葉を用いる祈りでも、神は私たちの心に耳を傾けてくださいます。ユダヤ人の祈りの例を紹介しておきますから、クリスチャンの祈りにもあるような神への愛と敬う心がそこに存在することを、生徒に悟らせてください。

最初は、静かに祈る祈りの言葉です。

主なる神よ、あなたの道を、知ることができますように。
心をきよくし、あなたを敬う心を与えてください。
私たちを贖い、罪を赦してください。
痛みを取り去ってください。
あなたの地の豊かさで、満ちたらせてください。

もうひとつ、静かに祈る祈りの言葉を挙げます。

主なる神よ、我らの父祖の神よ、
誰かが私をねたむことがありませんように、
私も他の人をねたむことがありませんように。
私が怒らぬように、そして私があなたを怒らせることのないように。
悪を行おうとする誘惑から私を守り、へりくだる心を与えてください。

ラビたちは、人は毎日神に祈る理由を最低100個見つけるべきだと教えます。祈りを表すヘブル語は「ベラハ」といい、「かがむ」という言葉と結びついています。私たちが神に祈るとき、私たちは神の前に頭を垂れます。しかしそれだけではなく、神が私たちのほうにかがんで、祈りに耳を傾けてくださる、そのようなことも表しているのです。ユダヤ教では、多くの短い祈りの言葉があり、その大部分は律法学者エズラによって書かれたものです。

  • 私たちの神、王なる主は何と尊い方か。鶏に昼と夜を区別する知恵をお与えになった。(朝歩いているときに祈る祈り)
  • 私たちの神、王なる主は何と尊い方か。私の目から眠りを、瞼から眠気を拭い去ってくださった。(起床のときに祈る祈り)
  • 私たちの神、王なる主は何と尊い方か。その言葉をもって世界のあらゆるものを存在せしめてくださった。(肉など、地に生えるのではない食べ物を食べる前に祈る祈り)
  • 私たちの神、王なる主は何と素晴らしい方か。主は、地からパンを生み出してくださる。(パンを食べる前の祈り。主イエスが最後の晩餐でパンを祝福したときに祈った祈りだと思われます)
  • 私たちの神、王なる主は何と尊い方か。主は善き方、その恵みと愛と憐れみで世のすべてを豊かにしてくださる。その愛は尽きず、すべての肉なるものに食物を与えてくださる。…あらゆる生き物を満たしてくださる主は、何と尊い方か。

祈りの中には、幸せな時のための祈り、何か素晴らしいものを初めて見た時の祈り、雷鳴を聞いたときの祈り、春にほころんだ花を見るときの祈りなど、様々な祈りがあります。また、誰かの代わりに祈る祈りもあります。次の祈りは、愛する人が旅に出ているときに捧げる、美しい祈りです。

私たちの主なる神、父祖の神よ。私たちを平和へ導き、平安のうちに歩ませ、和睦へ向かうように教え、生と喜びと安らぎに至らしめてください。道の途中、あらゆる敵、待ち伏せする者、盗賊、悪い獣から救い、世に満ちるあらゆる暴力から守ってくださいますように。すべての手のわざを祝福し、恵み、寛大さ、憐れみを、あなたの目の前で、そして私たちを見る人々の目の前で、与えてくださいますように。私たちの祈願の声を、あなたが聞いてくださいますように。あなたは祈りや祈願に耳を傾けてくださる方だからです。祈りを聞いてくださる主は、何と尊い方か。アーメン。

ラビはこう教えます。神はその寛大さと憐れみのゆえに、いつも祈られ感謝されるべき方であり、神の子供たちはすべて、あらゆることに感謝を表す方法を見出すべきだ…少なくとも1日100回は。あなたの生徒たちが、自分に関することで、どのように祈ったらいいか考えるよう、導いてください。

神はまた、みんなの祈りを聞いてとても喜ばれるのだよ、と教えます。こんな祈りは小さすぎて、神が耳を傾けてくださらないのではないかという心配は、全く必要ありません。幸せでも、悲しくても、快適でも、おびえていても、何かを求めていても、喜びに満ちていても、自分の心と思いを注ぎだすことは、いつも主に歓迎されています。そして、日々様々なことについて祈ることに加え、神の御名が付けられた都エルサレムの平和のために祈るよう、主は私たちに教えておられます(詩篇122:6)。

「もし神さまと、顔と顔を合わせて語ることができたら、何について話す?」「何て言いたい?」「何をお願いしたい?」と子供たちに尋ねてください。紙を配って、思いや祈りを書かせます。書くことが苦手な子なら、手伝ってやります。終わったら、前に出てきて、祈りを書いた紙をテープで壁に貼ります。もし祈りをエルサレムの「西の壁」に送りたいなら、子供たちみんなで1つの祈りを紙に書いて、「西の壁」に送ることができます。住所は次の通りです。
Western Wall Plaza Jewish Quarter
Jerusalem 97500, Israel
エルサレムの「西の壁」には、多くの人々の祈りが紙に書かれて置いてあります。訪問する際は、とりなしの祈りを持って行って置いてくることができます。
時間があるなら、子供たち祈りの課題を祈ったあと、エルサレムの平和のためにも祈りましょう。

雰囲気づくり

大きな段ボール箱を開き、ベージュ色の絵の具をスポンジにつけて塗り、石の感じを出して、黒い絵の具か太い黒のマーカーで大きな石を描いて、西の壁を作ります。その前に椅子やテーブルを並べ、人数分のペンと8cm四方くらいの紙を準備します。

マスキング・テープを準備して、生徒が書いた祈りの課題を壁に貼ります。

衣装

現代の、リラックスできるような服で結構です。