ステーション12 スペイン(前半)

ステーション12 スペイン(前半)

歴史的背景

1世紀に誕生したキリスト教会は、もともとはユダヤ教の共同体でした。指導者や会衆はほとんどユダヤ人であり、教会はユダヤ教の一グループとしてうまく機能していました。エルサレムでも、ユダヤ教の共同体として民の好意を受けていたのです(使徒の働き2章47節)。しかし、時が過ぎ、改宗した異邦人が教会の多数派になると、ユダヤ人への態度が変化していきます。教会は、ユダヤ教の土台から自らを徐々に切り離そうとしたのです。紀元70年、エルサレム神殿が破壊されると、多くのユダヤ人がイスラエルから離散し、地中海周辺地域やヨーロッパに住むようになりました。ユダヤ人の逃亡先となった土地のひとつが、スペインです。4世紀には、ユダヤ系スペイン人の数が非常に増え、スペイン国内の様々な場所にユダヤ人共同体ができました。

392年、テオドシウス帝はキリスト教をローマ帝国の国教とし、国内宗教の統一を目指しました。帝国は、他の宗教を取り除いていきました。そして最後に、ユダヤ人の処遇をどうするか、決定します。ユダヤ人は良き市民であり、良き納税者であり、国に対して忠誠を尽くしていたにもかかわらず、国やキリスト教会は彼らを攻撃対象としました。民を扇動し、ユダヤ人への反感を引き起こしたのです。クリスチャンの暴徒はユダヤ人共同体を攻撃し、シナゴーグを焼き払いました。

4世紀から5世紀の間、ユダヤ人はローマ市民としての権利を失っていきました。公職や軍務には就けず、クリスチャンと結婚すれば死刑になります。ローマ教会はユダヤ人の地位格下げ政策を行い、ユダヤ人はキリスト教徒に改宗しなければ、権利をはく奪され、生活の保証を失うことになりました。ギリシャ教会はユダヤ人への敵意をむき出しにし、ヨアンネス・クリュソストモスなどの教会指導者たちは、ユダヤ人を敵視する説教をしました。新約聖書の聖句をねじ曲げ、すべてのユダヤ人を「キリスト殺し」という言葉でひとくくりにしたのです。同じ誹謗(ひぼう)は今日に至るまで、「選びの民」ユダヤ人を脅かしています。スペインはユダヤ人共同体に好意を持っていた時期もありましたが、613年、ユダヤ人に対しキリスト教に改宗するか国外移住するかという選択を迫りました。そして694年、スペインに残っていたユダヤ人は奴隷にされてしまうことになります。

8世紀初め、イスラム教徒がスペインを侵略し支配を確立したとき、ユダヤ人が彼らを「解放者」として歓迎したのは不思議なことではありません。イスラム教徒は、ユダヤ人を奴隷状態から解放し、共同体を立て直す自由を与えました。その後700年の間、ユダヤ人はスペインで重要な役割を果たしました。イスラム教徒の支配者は、ユダヤ教徒とキリスト教徒の両方をイスラム教に改宗させようとしたことがありましたが、それでもユダヤ人共同体はイスラムの支配のもとで、経済的にも社会的にも繁栄し、外交官や政治顧問としても活発に活動しました。さらに、医学、文学、芸術、地図の作成、化学の分野でも大きく貢献しました。裕福なユダヤ貴族の家系から出た人々は、キリスト教徒の社会で要職に就き、スペインの貴族と結婚することができました。加えて、ユダヤ教の伝統を教える教育施設が建てられ、優れたラビたちは、ユダヤ教はもちろん、それ以外の分野の研究さえ許されたのです。

13世紀、キリスト教徒の国土回復運動(レコンキスタ)によってイスラム教徒が追放され、スペインはローマ・カトリック教会の支配下に戻りました。この時点から、ユダヤ人の地位が下がり始めます。1391年、スペイン中に反ユダヤ主義の波が起こり、暴力事件が多発しました。数万のユダヤ人が虐殺され、居住区が破壊され、シナゴーグが焼かれました。強制的な洗礼が行われ、殺されるよりはましだと考えたユダヤ人が、共同体の全員で洗礼を受けるというケースもありました。このようなことを通して、「コンヴェルソス」あるいは「新教徒」と呼ばれる身分が、スペインにできました。国は暴力的な行動を鎮(しず)めようとしましたが、その抑制力は弱く、その動きは遅すぎました。

1481年、スペインは教会に忠誠を示さない者を宗教裁判にかけ、社会から排除する政策を始めました。裁判の最大のターゲットは「マラノス」、すなわち「豚」と呼ばれてきた「新教徒」でした。強制改宗させられた者の多くが、洗礼後も隠れてユダヤ教の習慣を続けていましたが、数万人が摘発され、拷問を受け、火あぶりの刑に処せられました。

しかし1492年、フェルナンド2世とイサベル1世が、全ユダヤ人を追放する法令に署名し、スペインにいるユダヤ人に「弔いの鐘」が鳴り響きました。3月31日から5月31日までの間に、10万以上のユダヤ人が、持ち物と財産のほとんどすべてを残したまま、国外退去を余儀なくされました。数世紀にわたり重要な役割を負っていた裕福なユダヤ人たちも、ポルトガルからトルコまで様々な国へ逃亡し、スペインから完全に消え去りました。しかし彼らは逃げる途中でも、あの聖なる御旗のもとに行進しました。「シェマ イスラエル、アドナイ エロヘイヌ、アドナイ エハド」「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである」。