ステーション13 イエメン(上)

ステーション13 イエメン(上)

歴史的背景

1世紀に誕生したキリスト教会は、もともとはユダヤ教の共同体でした。指導者や会衆はほとんどユダヤ人であり、教会はユダヤ教の1グループとしてうまく機能していました。エルサレムでも、ユダヤ教の共同体として民の好意を受けていたのです(使徒の働き2章47節)。しかし、時が過ぎ、改宗した異邦人が教会の多数派になると、ユダヤ人への態度が変化していきます。教会は、ユダヤ教の土台から自らを徐々に切り離そうとしたのです。紀元70年、エルサレム神殿が破壊されると、多くのユダヤ人がイスラエルから離散し、ヨーロッパ、西アジア、北アフリカ、アラビア半島の様々な地域に住むようになりました。

イエメンは、アラビア半島南西の隅にあるとても貧しい国で、そこのユダヤ人共同体の起源は、旧約聖書の時代にまでさかのぼります。しかし、それがどのようにいつ始まったのかは、わかっていません。シェバの女王のソロモン王訪問後、女王とともについて行ったユダヤ人の一団がその共同体を作ったと考える人もいます。バビロンによってエルサレムが陥落した紀元前586年後に、離散した人々だと考える人もいます。また、ローマ帝国の時代、そこに駐留していたユダヤ人兵士によって作られたのかもしれません。その起源がどうであれ、ユダヤ人共同体はイエメンにでき、紀元3世紀までには数千人になっていました。

イエメンでは、何人かの支配者がユダヤ教に改宗し、さらに地方部族の多くが改宗するなど、歴史の中で特別なできごとが多く起きました。言うまでもなく、その時代のユダヤ人たちは、その地域でうまくやっていました。しかしながら、紀元525年にイエメン最後の王が殺害され、7世紀にその地域がイスラム教徒に征服されたことで、ユダヤ人はその圧政下に置かれ、状況は大きく変化しました。ユダヤ人は、ろば以外のどんな動物にも乗ることを許されず、ゲットーや離れた村に隔離され、ユダヤ人とわかるような服を着させられ、色のついた上着を着ることさえ許されませんでした。男は武器を運ぶことを制限され、家を建てるときには高さ制限が設けられました。さらに後年、ユダヤ人の13歳以下の孤児をイスラム教に改宗させ、ムスリム共同体の一員にするという法律ができました。

イエメンのユダヤ人のほとんどが、極度の貧しさに苦しんでいました。宝石商、金属職人、蹄(てい)鉄工、銃職人、鞍(くら)職人として、多くの人々が優れた仕事をしていましたが、その稼ぎはわずかでした。ユダヤ人共同体は全体として、全員がちゃんと食べられるほどの稼ぎを得ることができませんでした。収入が足りないにもかかわらず、重税を払わされ、暴力を伴う迫害を避けるため、地域のイスラム教徒に対して「保護を受けるための」人頭税も支払わねばなりませんでした。
16世紀になり、イエメンはオスマン・トルコ帝国の一部になりましたが、その新しい政治的展開は、ユダヤ人の苦境を悪化させただけでした。もともと住んでいたイスラム教徒は、新しいトルコの支配者と対立していましたが、両者ともに少数派のユダヤ人を迫害したのです。

1949年、イエメンのユダヤ人の祖国帰還作戦が始まりました。そして、1950年に最後の一人が飛行機でイスラエルへ運ばれるまで、イエメンのユダヤ人は言葉で表せないほどの極貧状態で生き続けました。彼らは飛行機を見たことも、ベッドで寝たことも、トイレを使ったことも、電話で話をしたことも、電灯を見たこともなかったのです。世界のディアスポラ共同体の中でも、最も未開の社会環境で2000年以上生きてきたのです。しかしどんな苦難を通っても、主への信仰は決して揺らがず、文化的に発展した他のディアスポラ共同体よりも、聖書時代に近い伝統を実践し続けてきました。貧しく不衛生な環境にあっても、モーセの教えに厳格に従い、家や体を清潔に保ってきたのです。彼らの学校は本をそろえることもままなりませんでしたが、絶えず努力して、子供たちを教育してきました。

イエメンのユダヤ人はイスラエルへ帰還するに当たり、豊かで美しい伝統を携えてきました。イエメンのユダヤ人職人の手による芸術や宝飾には、美を心から大切にする気持ちが表れています。その音楽、詩、踊りには、生きることへの情熱や、主を求める美しく純粋な信仰心が表れています。彼らの結婚式の慣習や衣装も、あらゆるディアスポラ共同体の中で最も美しく、聖書的に深い意味を持つものです。

教えるための情報

結婚や家族は、ユダヤ人の人生の中心であり、ユダヤ教のまさに根幹です。創世記で、神はアダムのために妻を造り、アダムとエバに対して「生めよ、ふえよ、地を満たせ」と命じられました。神は、「結婚」と呼ばれる制度に証印を押し、「家族」という社会単位を造られました。また、子供たちの配偶者を探す責任を、アダムに続く何百世代ものユダヤ人のお父さんたちに、模範として見せたのです。

何千年にもわたり、結婚して家庭を作ることは、神からの命令だと考えられてきました。タルムードはそのことに関し、多くを語っています。

  • 結婚していない人は、喜びも、祝福も、良いものもなく生きることになる。
  • 男性の「家」とはその妻である。
  • 結婚していない人は、十分な人とは言えない。「男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された」とあるように。

結婚を強調する理由は、創世記に「生めよ、ふえよ。地を満たせ」と命令されているからだと思われるかもしれません。確かに、増え広がることは、ユダヤ教が結婚を重視する大きな理由です。しかし、それだけでなく、神の御心にかなった結婚は、男女の特性が、神のご性格を完全に表すことになるからなのです。

しかし、結婚を強調する最大の理由は、創世記18章19節にあります。というのも、この箇所は、アブラハムが新しく生まれる民族の父となり、その民族が「神はおひとりである」というメッセージを世界に伝え、その民族から、地上のすべての民族を祝福するメシアが来られるということを、予告しているからです。神はなぜアブラハムを選ばれたのか。その理由は「彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため」という以外に、記されていません。ユダヤ教ではこれを受けて「弟子作りは家庭で始まる」と教えてきました。神の方法で子供たちを教え、子供たちを神との関係に導くのです。家族というのは、ユダヤ教にとっての礎石であり、その礎石の上に神に従う信仰、そして神の民の共同体の伝統を、4000年にもわたって守ってきました。

ユダヤ人の歴史において家庭を建て上げることは大変重要だったので、賢者たちは「シャローム・バイト」、すなわち家族の平和というテーマに非常に多くの時間を注いできました。男たちは、どのようにして良い夫になるべきか、妻に対して優しく寛容になるべきかを、細かく徹底的に教え込まれました。タルムードは、こう命じます。夫は自分自身よりも妻を愛しなさい、妻に素敵な服を買うためなら自分は喜んで裸で過ごしなさい、背の高い夫は妻のささやく声を、身をかがめて聞きなさい、と。ラビたちは「若い時の妻に替えられものは何もない」と諭します。「シャローム・バイト」も、家の中で決して声を荒げてはならない、「隣人を愛せよ」を守っているかどうかは、配偶者が愛されていると感じるかどうかではかられる、と教えています。

ユダヤ教では、家庭を建て上げ、家族を守るという大切な役割のゆえに、女性が重んじられています。女性たちの活動領域は同年代の男性とは異なりますが、共同体における価値は男女まったく同じであり、女性が劣っているとはされません。いつの時代も女性を守るための法律があり、未婚者、既婚者、やもめ、離婚した人まで女性は大切にされました。また、精神的、知的分野でも尊重されてきました。

その一例は、次のラビの話にも表れています。

異教徒がラビのガマリエルに言った。「あなたの神は、ただの泥棒じゃないか。アダムを深く眠らせ、眠っている間に、あばら骨を盗んだのだから」。ラビはその異教徒に、警官を呼んでほしいと頼んだ。「何のために」と異教徒は尋ねた。「夜に、家に泥棒が入って、銀の杯を盗み、金の杯を置いていったんだよ」とラビは答えた。「そんな泥棒だったら毎晩押し入ってほしいね」と異教徒は言うと、ラビは答えた。「最初の人アダムにとっても、素晴らしいことだったんじゃないの。あばら骨を失ったが、代わりに女性をもらったんだから」。