ステーション14 北アフリカ(前半)

ステーション14 北アフリカ(前半)

歴史的背景

1世紀に誕生したキリスト教会は、もともとはユダヤ教の共同体でした。指導者や会衆はほとんどユダヤ人であり、教会はユダヤ教の1グループとしてうまく機能していました。エルサレムでも、ユダヤ教の共同体として民の好意を受けていたのです(使徒の働き2章47節)。しかし、時が過ぎ、改宗した異邦人が教会の多数派になると、ユダヤ人への態度が変化していきます。教会は、ユダヤ教の土台から自らを徐々に切り離そうとしたのです。紀元70年、エルサレム神殿が破壊されると、多くのユダヤ人がイスラエルから離散し、ヨーロッパ、西アジア、北アフリカ、アラビア半島の様々な地域に住むようになりました。

北アフリカのユダヤ人共同体がいつ始まったのか、正確にはわかりませんが、ローマ帝国の時代にさかのぼることは確かです。ローマの支配下、この地域のユダヤ人は市民として平等に扱われ、快適な生活を送り、それぞれの仕事を持って働いていました。紀元429年、北アフリカは西ゴート族に占領され、状況は悪化しましたが、それでも他のディアスポラ共同体(離散したユダヤ人の共同体)よりは、はるかに良い環境にありました。紀元7世紀に入り、多くのユダヤ人がスペインの圧政から逃れ、北アフリカに定住すると、豊かで新しい文化、産業、商業が発展しました。

7世紀後半、北アフリカに広く居住していたベルベル人の中で、ユダヤ教に改宗する部族が出て来ました。その後、イスラム勢力の侵略が始まり、それらの部族は粘り強く抵抗しましたが、アラブの兵士を撃退できず、紀元900年には征服されてしまいます。次第に、ベルベル人の全部族がイスラム教に改宗していきます。ただユダヤ人は、アラブの支配下において「ディンミ」、すなわちアラブに隷属することで生存が保証される民となり、11世紀までは比較的平穏に暮らすことができました。

モロッコは北西アフリカにある小国で、ローマ帝国以前から大きなユダヤ人共同体があり、1967年まで続いていました。荒々しい山、深い谷、砂漠、そして豊かな農地のある美しい国で、ユダヤ人には多くの経済的チャンスがありました。モロッコのユダヤ人共同体は、ユダヤ、アラブ、アフリカ、ペルシャ、ムーア人、そしてフランスの影響も受け、世界中で称賛される文化を形成し、独自の芸術、音楽、料理を生み出しています。

しかしながら、1033年、モロッコで大規模なポグロムがあり、何千ものユダヤ人が殺され、生存者は奴隷として売られました。1062年、新たな勢力が権力を握って状況は改善しましたが、12世紀、さらに別の政治勢力が取って代わり、ユダヤ人はイスラム教に改宗するか退去するかの選択を強いられました。その地に残ることを選択した場合には、ユダヤ人とわかるような服を着ることを強制されました。

その後13世紀から14世紀、北アフリカのユダヤ人の状況は安定しました。1391年、スペインからさらにユダヤ人が逃亡してきましたが、その移住者の中には、筆記者、学者、音楽家、職人がいて、ユダヤ人共同体に新たな息吹をもたらしました。しかし1438年、ユダヤ人はゲットーに集められ、隔離され、抑圧されるようになり、その苦難は1912年にアラブ・イスラム勢力がフランスに制圧されるまで続きました。その500年近い間、北アフリカのユダヤ人たちは、貧困と抑圧の中で、音楽、踊り、詩、工芸、料理を通して、生と美への愛を表現する、豊かで生き生きとした文化を発展させました。共同体は神を第一とし、活力のある宗教生活を1912年まで維持することができたのです。その年、フランスの占領軍が、ユダヤ人に社会的平等と宗教的自由を保証しました。

第二次世界大戦中、フランスの反ユダヤ主義のヴィシー政権が、何千ものユダヤ人をナチスのガス室に送り込み、同じ運命は北アフリカのユダヤ人にも降りかかろうとしていました。しかし、モロッコの君主ムハンマド5世は、ユダヤ人を「私のユダヤ人」と呼び、彼らを保護して、送還されないように守りました。大戦後、モロッコには、27万人のユダヤ人が生き残っていました。しかし、政治情勢が不安定になり、極めて劣悪な環境下に置かれることとなってしまいます。1948年、彼らの多くはイスラエル、アメリカ、カナダへと移住します。1967年の六日戦争後には、ほとんどのイスラム諸国でユダヤ人の状況がさらに悪化し、モロッコのユダヤ人共同体の大部分が、難民としてイスラエルに逃げ込みました。

今日、モロッコと周辺の北アフリカに住むユダヤ人は1万人を下回っています。その大部分が中・上流階級で、モロッコのイスラム社会と調和した生活を送っています。異なる民族と婚姻関係を結んで同化されることはほとんどないのですが、共同体は縮小し続けています。大学教育を受けるため国外に出る若者が増え続け、その多くは戻ってきません。イスラエルとの直接のつながりは、北アフリカで繁栄している共同体を通して、かろうじて維持されています。