ステーション14 北アフリカ(後半)

ステーション14 北アフリカ(後半)

教えるための情報

紀元70年のエルサレム神殿破壊、そして135年のバル・コクバの乱の後、イスラエルではユダヤ教の活動が禁止されました。とどまったユダヤ人は密かに宗教儀式を続けましたが、エルサレムはもはやユダヤ教の中心地であることができず、代わりにバビロン(現在のイラク)がその役割を担う場所となっていきます。バビロンにはユダヤ教の中心となる機関が発展し、ユダヤ世界全体からもたらされる教義上の疑問に答える地となりました。バビロンの宗教指導者は、ヘブル語で「天才たち」を意味する「ガオニム」と呼ばれました。この偉大な人々が編集した標準タルムードが、今日の「バビロニア・タルムード」です。

5世紀に現れたガオニムの中に、ひとりだけバビロン出身ではない人がいました。北アフリカ出身のサディア・ベン・ヨゼフです。サディアが外国出身でありながらガオニムになれたのは、その時代で最も高く評価されたユダヤ人学者だったからです。それだけではなく、対決を恐れぬ厳しい指導者で、利己的で歪(ゆが)んだ経済的・法的支配には頑として対抗しました。ユダヤ人に最大の利益がもたらされず、また神の栄光が実現されないならば、他のユダヤ人指導者とも激しく闘いました。

しかしながら、サディアを有名にしたのは政治的闘争ではなく、著作です。彼はユダヤ教の諸派について広範囲にわたり批評をし、律法の一語一句の解釈よりは、むしろユダヤ教の中心的真理やメッセージが明らかになるよう努力しました。『信念と見解の書』は、ユダヤ教を体系的・哲学的に説明した最初の著作です。比類なく重要性な書物であり、1000年以上経った今も出版されているほどです。サディアはまた、聖書をアラビア語に翻訳し、アラブ世界に住むユダヤ人のために、祈りの定型句を収めた書物も著しました。

サディアの死後2世紀、もう一つの最高峰のユダヤ人学者マイモニデスが、次のような賛辞を述べています。「サディアがいなかったら、トーラーはイスラエルの中から消えていたかもしれない」。

学びの進め方

リーダーは、モロッコの裕福な家庭出身のユダヤ人となり、午後のティータイムに来た客をもてなすという設定にします。子供たちがお客さんです。リーダーが話をしているとき、アシスタントは生徒たちに、お菓子と飲み物を配ります。

「北アフリカのモロッコに住んでいた頃の話をしよう」と切り出します。故郷の山、谷、砂漠、農地、そして海岸がどんなに美しいか、懐かしがりながら話します。
「私は、北アフリカの都市部に住むユダヤ人とは違い、アトラス山脈の近くに大きな牧場を所有していたんだよ。空気は澄み、夜には星が輝き、驚くほど美しい土地だ。様々な民族から影響を受けたおかげで、豊かな音楽、芸術、料理も楽しめた」。(子供たちがおやつを食べているとき、「知っていましたか」のセクションから、モロッコの食べ物について語ります)。
「私の父は穀物や動物を、たびたびテトゥアンやタンジールという町へ運び、そこでアラブ人とクリスチャンの貿易商の仲介役をしていた。モロッコの社会では、私たちユダヤ人家族もちゃんと受け入れられて、どれほどありがたかったことか。友だちや親戚はずっと困難な状況で生活していたのに」。

「親戚の中には、大きな都市に住んでいて、黒い服と黒い靴を着けるよう強制されていた人もいるんだ。モスクの前を歩くときには靴を脱がねばならず、それどころか、靴を履くことさえ許されない都市もあった。私には緑の丘を行くときに父の家畜に乗る自由があったが、都市に住む親戚は、家畜はおろか、公共の乗り物に乗ることも許されなかった。遠い道のりでも歩いて行くしかなかったんだ」。

「ほとんどの都市にはゲットーがあり、ユダヤ人の住む場所はそこに限定されていた。北アフリカのユダヤ人は、一般社会で生活するよりもゲットーにいるほうがむしろ安全だった。よくイスラムの人々(ムスリム)に襲撃され、けがをしたり死んだりすることがあったからね」。

「抑圧されていた時代にあっても、ラビや長老たちが身を賭して、私たちに律法に従うよう、励ましてくれたんだ。彼らのおかげで、迫害されていても、唯一なる真の神を知り、神のために生き抜いてこられた。今、イスラエルにある北アフリカ出身者の共同体は、とても活気があってね、自分がその一員となっていることは、誇りだよ。故郷を去ることは本当につらく困難だった。でも、アブラハム、イサク、ヤコブの地に、今住んでいることはこれ以上ない喜びだよ。今日は、ティータイムに参加してくれてありがとう。イスラエルの地は、神を愛するすべての人の祈りを必要としていることを忘れないでほしい」。

雰囲気づくり

応接間の雰囲気にするために、背景に布やシーツをかけ、お茶のためのテーブルを準備し、観葉植物と椅子を置きます。

衣装

主人が女性の場合、床までの長さの黒いスカートで金色の縁取りがされたものをはきます。鮮やかな赤の飾り帯、白かゴールドのブラウス、白いショールをかけ、頭の覆いは、金色の縁取りがついた赤いスカーフのような布を身に着けます。

主人が男性の場合、裾にゴムの入ったズボンを準備します。上は襟のない白いシャツで、明るい色の袖なしのチュニックを着ます。ベルトは締めず、裸足がいいでしょう。キッパをかぶってもいいですね。

食べ物

ゴリバと呼ばれるアーモンド・クッキーに、砂糖入りのミント・ティーをいただきます。

もうちょっと手の込んだものなら、北アフリカ風のフルーツサラダがいいですね。薄くスライスしたオレンジに、黒オリーブと砂糖を少し入れて軽くあえたものです。あるいは、スライスしたオレンジにデーツ、細かく砕いたアーモンド、オレンジジュースと砂糖を少し入れてあえてもいいでしょう。このフルーツサラダにも、甘くしたミント・ティーを添えます。

知っていましたか

北アフリカ料理について。

  • モロッコ料理は、アラブ、アフリカ、ペルシャ、フランスの影響を受けており、他の料理では使われないものを使います。塩水に浸けたレモンや、ハリッサ(赤唐辛子、ニンニク、オリーブオイルを混ぜたもの)という薬味です。
  • バラの花びらやオレンジの花が入った水で作る料理もあります。
  • モロッコには、珍しくて有名な料理が2つあります。ひとつは香辛料たっぷりのシチューのタジン、もうひとつは発酵バターのスメンです。
  • モロッコ人は、スイーツを食後のデザートに食べることはありません。しかし、パイやケーキ、キャンディーなどを、昼間の間食として食べたり、食事の最中にいただいたりします。デザートは通常、果物です。
  • 北アフリカというと砂漠を思い浮かべますが、オレンジ、レモン、アーモンド、オリーブが栽培されています。特に、エジプトやモロッコの美しい農業地帯が有名です。もちろん、小麦や大麦も生産されます。