ステーション15 東ヨーロッパ

ステーション15 東ヨーロッパ

歴史的背景

ユダヤ人を迫害・追放する西ヨーロッパ諸国が増えたことで、ユダヤ人は東ヨーロッパへと移住していきました。そこでも、疑いの目で見られたり抑圧されたりすることもありましたが、いくつかの国々が定住を歓迎してくれました。こうして東ヨーロッパにユダヤ人共同体ができ上がっていきました。

例えば、15世紀のルーマニアでは、各地の領主たちが、同国正教会の強い反対を無視して、ヨーロッパの諸地域から逃れて来たユダヤ人に定住を促しました。組織化されたユダヤ人共同体が、多くの都市や町、そして数えきれないほどの小さな村々で発展しました。続く2世紀の間、彼らの生活は比較的平和なものでした。ルーマニアのユダヤ人は、しばしば貧困に悩み、反ユダヤ的な中傷や噂の犠牲にもなることもありましたが、おおむね迫害を受けることなく、キリスト教徒たちと平和に暮らしました。しかしながら18世紀に入ると、ルーマニアの領土内で頻発した戦乱のために困窮するようになり、そして19世紀には政府による抑圧と大衆からの暴力の犠牲者となるのです。

ルーマニア、ポーランドなどの国々が受け入れてくれたおかげで、ユダヤ人は一定期間、平安と安全の中で暮らせましたが、多くの場合、長続きはしませんでした。無知で迷信的なヨーロッパ人の間に反ユダヤ主義が広がり、ユダヤ人は度重なる暴力と激しい迫害の対象となりました。数万人が殺され、拷問され、火あぶりにされ、自殺を強要されました。ユダヤ教の儀式で人を殺したとか、クリスチャンの血を飲んだとか、井戸を汚染させて伝染病をもたらしたとか、カトリックの聖餐式を冒瀆(ぼうとく)したとか、その他ありとあらゆる類のデマや虚偽をでっち上げられました。一般民衆の暴力にさらされ、狂信的反ユダヤ主義者に苦しめられ、大量殺戮の犠牲者となりました。居住地から追放されると、別の地域に避難しましたが、そこからまた追放されてしまいます。しかし、この苦難の中でも、ユダヤの宗教的伝統と唯一神信仰によって、民族的結束を深め、忍耐力と生き残りへの意志を強くしたことで、かえってユダヤ教はしぶとくなっていったのでした。

教えるための情報

18世紀初め、東ヨーロッパのユダヤ教は、ハシディズムと呼ばれる運動に大きな影響を受けました。それは、「良き名の主人」を意味するバール・シェム・トブという名の人物に導かれ、リトアニアで始まった潮流です。彼はまた、頭文字のベシュトという名でも知られています。

1700年に生まれたベシュトは、若い頃、粘土掘りからユダヤ人小学校の助手まで、あらゆる地位の低い職業に従事しました。彼はこの時期、神との交わりに多くの時間を費やしました。彼の追随者たちはこの期間を、モーセがしゅうとの群れの世話をしながら後の活動の準備をした歳月に、重ね合わせるようになりました。

40歳頃、ベシュトは教師、指導者、神癒の人として認められるようになり、周辺諸国から弟子が集まり始めました。ベシュトのメッセージは、当時のユダヤ教が強調していたものとは異なりましたが、ユダヤ教の核心からそれほど外れたものではありませんでした。ベシュトは、タルムードの「神は心を求める」という教えに焦点を当て、神を求める純粋な心が、タルムードの知識よりも重要だと教えました。喜びが大切なのであり、神の民が喜んで生きるとき、神に栄光が帰されるのだと語り、美しさは、創造主とつなげて初めて価値があると主張したのです。ハシディズムの祈祷には、歌、踊り、叫び、拍手、体操さえ含まれます。詩篇35篇にある、「私のすべての骨は言いましょう。『主よ。だれか、あなたのような方があるでしょうか』」という言葉に、応答しているのです。ベシュトは、生活のすべては祈りであり、どんなに苦痛でつまらない仕事でも、喜びに満ちた純粋な心をもって神に捧げるならば、礼拝になると教えました。

彼に反対するユダヤ人指導者もいましたが、この運動はすぐに、東ヨーロッパ全体に広がりました。ハシディズムの小さな共同体が作られ、それぞれの指導者はレベと呼ばれました。各共同体の教義や習慣は同じでしたが、それぞれが独特なスタイルの服装を取り入れて、今日まで続いています。18世紀のハシディズムは、今日の正統派ユダヤ人の中でも最も保守的な一派となり、その共同体は今でも世界中で見られます。特に、ニューヨークやイスラエルの共同体は大きなものです。彼らは、18世紀の服装を続けているため、父アブラハムやモーセとは、見た目が全く異なるでしょう。しかし、そのメッセージはモーセ以来、変わってはいません。「シェマー イスラエル、アドナイ エロヘイヌ、アドナイ エハド」「聞きなさい、イスラエル、主は私たちの神、主はただひとりである」。

学びの進め方

リーダーは、バアル・シェム・トブの教えを新しい弟子に熱く語るハシディズムのレベの役になり、アシスタントもハシディズムの一員になります。

まず生徒を歓迎し、ここで話ができる機会が与えられたことを神に感謝することから話を始めます。「ベシュトの教えと出会う前の自分の人生は、本当につまらなく惨めなものでした」と語り、ベシュトの教えの概要を説明し、この新しい教えが人々の人生をどれほど変化させたかを伝えます。「私の村はとても貧しく、人々は朝から晩まで働いてもわずかの収入しか得られないけれども、今や喜びと幸せに満ちているんだ」。

次に、生徒たちと一緒にダンスして神を賛美します。祈りのダンスです(あるいは、ダンスする祈りです)。

雰囲気づくり

このステーションの雰囲気づくりに必要なものは、ほとんどありません。強調するべきは教えとダンスだからです。室内にあるものは外に出すか、壁側に集めるかして、広いスペースを作ります。

衣装

リーダーとアシスタントは、黒いズボン、ジャケット、靴、そして襟のない白いシャツを身に着けます。新しく見える服ではなく、貧しい人が着るようなほつれた服を着ます。

音楽:ハシディズムのダンス

ツェメル・アティク(ハシディズムのダンス)

子供たちを輪になって並ばせ、右手を前の人の左手に乗せます。ダンスは2つの部分に分かれています。

  1. 右側を向き、飛び跳ねながら4拍分ステップし、そのあと右肩の上、そして左肩の上で、交互に手を叩きながら4拍分ステップします。この部分を4回繰り返します。
  2. 輪の中心を向き、両手を頭の上に上げます。4ステップ進み、2拍目と4拍目に指を鳴らします。次に、腕を下げながら4ステップ下がります。この部分を4回繰り返します。1の部分と2の部分を好きなだけ繰り返してください。