ステーション17 ホロコースト(下)
- 2020.10.21
- アブラハムの子供たち
補助教材
教師が、ホロコーストをよく理解するための補助教材を2つ紹介します。ウィリアム・フィリップスWilliam Phillips作の『ホロコーストに関する書類』Holocaust Porfolioと、『授業用ポスター・セット』the Teachers Educational Poster Setです。ワシントンのアメリカ合衆国ホロコースト記念博物館で入手できます。大切な情報だけでなく、教室に掲示できる視覚教材が入っています。http://www.ushmm.orgにアクセスし、メニューから、Teach→Teaching Materials by Topic内などを探してください。あるいは、博物館にコンタクトを取ることもできます。
住所は、100 Raoul Wallenberg Place SW, Washington DC 20024-2126
電話番号は米国202-488-0400です。
反ユダヤ主義の子供向け絵本。「ユダヤ人の誓いは絶対に信じるな。緑の牧場にいるキツネを信じないのと同じように」。
その他、授業のための提案
・第二次世界大戦の終戦時には、ヨーロッパのユダヤ人の約3分の2が死に絶えました。このことを理解させるために、子供を全員立たせ、お互いに見回します。教師は、適当に生徒を指名して座らせていき、全体の3分の1が残るまで続けます。
・12歳の女の子(いなければ、同年代の子)に前に出てもらい、彼女を知るためにいくつかの質問をします。何人家族ですか。兄弟姉妹はいますか。趣味は何ですか。音楽は好きですか。学校ではよく勉強していますか。好きな科目は何ですか、などと。
女子高生4人。Hanka Lefkowicz, Gerda Berenstein, Hela Bartowska, Edzia Seltzer。アリシアと同じように、戦前、ポーランドに住んでいた少女たち。
その女の子には前に残ってもらい、次に、12歳のアリシアを紹介します。ポーランド出身で、1938年に12歳だったユダヤ人の少女です。アリシアは、読書と理科が大好きです。音楽も好きで学校の合唱部に所属しています。大人になったら作家になりたいと、日記には書いています。兄弟がひとりいて、猫と鳥を飼っています。お父さんは服の仕立屋さんで、お母さんはボランティア活動をしています。友だちと過ごすことや、買い物が大好きで、学校ではひとりの男の子のことが気になっています。
そう話した上で、アリシアと、前に出ている女の子の共通点は何ですかと、生徒たちに質問します。そして女の子に、将来どんなことを計画しているか、尋ねます。中学、高校では何をしたいか、大学に行きたいか、いつか結婚して、子供がほしいと思っているか。
ここで、前に出た女の子には席に戻ってもらいます。そして、2人の女の子の将来が大きく違ってしまうことを、説明します。
1939年にナチスがポーランドに、アリシアを取り巻く状況が劇的に変化してしまったのです。彼女は合唱部から追い出され、学校に行くことを禁止されました。自転車とペットを手放すよう、ナチスに強制されました。父の店は取り上げられ、その後父と兄は連行されて戻ることはありませんでした。公共交通機関は利用できず、買い物も禁止されました。非ユダヤ人の友人たちは彼女を避けるようになり、次第に、彼女を憎むかのような行動を取り始めました。アリシアと母はゲットーに入れられ、他の6家族とともに1つの部屋に住まわされました。暖房はなく、食べ物もわずかです。アリシアはいくつかの強制収容所に送られ、母がナチスの兵士に撃たれるところを目撃しました。18歳のときに戦争が終わりましたが、アリシアは解放されて3週間後、チフスで亡くなりました(実話に基づいています)。
同じように始まった2人の女の子の人生がこれほど違ってしまったのは、何ゆえなのか。反ユダヤ主義、偏狭な考え、民族差別、固定観念を持って人を見ることが、どんな結果をもたらすか、生徒たちと語り合いましょう。
アウシュヴィッツ第二収容所(ビルケナウ)で生き残ったユダヤ人の子供たち。1945年、解放後の写真。
ホロコーストの年表は、授業の準備に役立ちます。生徒に配って持ち帰らせてもいいでしょう。
雰囲気づくり
「進め方1」の雰囲気づくり
生徒に映像を見せるので、スクリーンに向けて椅子を並べます。また、ポスターや補助教材を掲示します。ホロコーストを扱った少年少女向けの本(『アンネの日記』や『少女ファニーと運命の旅』など)も紹介します。書籍は、ワシントンのアメリカ合衆国ホロコースト記念博物館からも入手できます。
「進め方2」の雰囲気づくり
大きな段ボールの箱を使って、部屋の中に入り口か階段を作ります。箱を開き、灰色の絵の具で色付けし、その上に黒のマーカーか絵の具で、巻かれた有刺鉄線を描きます。そして、「進め方1」と同じような掲示や準備をします。暗い色の布をかけたテーブルを置いて、6本のろうそくを立てるのもいいでしょう。1本のろうそくが、600万人の犠牲者ひとりひとりを表しています。ユダヤ人のコミュニティやホロコースト祈念の礼拝では、このようにするのが習わしです。また、マスキングテープを用いて、床に線路を作ってもいいと思います。
衣装
その場にふさわしいカジュアルな服を着てください。
身分証明書
アメリカのホロコースト記念博物館から、ホロコーストの犠牲となった人々の、実際の身分証明書をプリントアウトすることができます。
参加者の身分証明書に押すために、「J」の文字のゴム印とインク台を用意してください。
また、https://encyclopedia.ushmm.org/landing/en/id-cardsから、自分の持っている身分証明書の持ち主がどうなったか、知ることができます。身分証明書に該当する人の情報を、貼り出してください。
ホロコースト時代に生きた子供たちの声
次の文は、イツハク・タテルバウムItzhak Tatelbaum編『私たちの目で見たもの―ホロコーストの時代に生きた子供たちの証言』(邦訳なし)Through Our Eyes, Children Witness the Holocaustに掲載されている子供たちの日記や自伝からの引用です。全部使用しても、参加者の年齢に合わせて選んでもいいでしょう。
生き残った子供たち二人。入れ墨を入れられた腕を見せている。ブーヘンヴァルトその他の強制収容所の孤児たちとともに、1945年、ナポリからハイファへ、難民用蒸気船に乗った。
・彼らは毎日、ユダヤ人に関する新しい法律を作っています。例えば今日は、家にあった小型の器具を全部没収されました。ミシン、ラジオ、電話機、掃除機、そして私のカメラと自転車を、持っていかれました。モノを取られただけだよ、家族を取られたわけじゃないからまだいいじゃないって、アジは言ったけれど。……エヴァ(ハンガリー)、11歳
・大人たちは、仕事をすることを禁じられています。どうやって子供たちに食べ物を与えることができるのか、私にはわかりません。・・・エヴァ(ハンガリー)、11歳
・ある日、学校が半日休みになりました。インゲと私は、午前の授業が終わったら新しいスケート靴を持って屋外のアイススケート場に行こう、と計画しました。でも、リンクの入り口に来たら、大きな注意書きが貼ってあったんです。「犬とユダヤ人は入場禁止」って。……ハンネル(ドイツ)、12歳
2歳のMania Halef。1936年、キエフ出身のユダヤ人の子供。後に、バビ・ヤール大虐殺で死亡。
・ユダヤ人がドイツ人の学校にまだ出席している。これはあってはならないことだ。私の息子がドイツ人の高校に行き、ユダヤ人の側に座ってドイツ史の授業を受けるなんて、考えられない。ユダヤ人はドイツ人の学校から排除されるべきだ。自分たちのコミュニティで教育すれば済む。……ゲーブルス、ドイツ政府の宣伝大臣
・今日もひとり、学校を去るだろうと思います。フリードリヒ・シュニーデルはもう学校に来ないかもしれません。彼はユダヤ教の信仰を持っているので、ユダヤ人学校に転校しなければならないからです。……ヘール・ニュードルフ
・学校が早く終わりました。門に到着するとすぐに、恐怖に締め付けられるあの感覚がありました。……そして、たくさんのトラックと銃を構えて待っている緑のシャツの兵士が道に見えます。本能は私に「逃げろ」と言いますが、逃げられる状況ではありません。彼らの道を横切る者はみな、捕まりました。……アグネス、11歳
・彼らは私たちの本を焼いています。これは夢だろうかと思いながら、私は歩きました。燃えかすが熱風で飛び、鼻につんとくる煙が満ちています。男も女も子供も、その炎に群がってきました。炎はますます大きく高く昇り、そこら中に煙を吐き出し、視界が悪くなってきました。トーラーの巻物が燃やされているのです。真ん中にある大きな巻物が焼け、炎が揺らめいて奇妙な死のダンスをしています。ユダヤの知恵と信仰が記された古い書物のページに火がつき、パチパチと音を立てて灰になっていきます。何巻もの聖書、皮の表紙の詩篇、テフィリンにも火がつき、丸まったりねじれたり、炎がひらめいたりしながら粉々になっていく様子は、まるで苦悩のようでした。絵や文書は重みのない灰となり、この残酷な松明の端でひらひらしています。私たちのアイデンティティ……私たちの魂……炎で焼かれたものは、重みを失い、無の灰となって積み上がりました。……リヴィア、15歳
・爆弾の音を聞いたのは、初めてでした。私たちは恐怖で固まりました。……チャヴァ、12歳
・しかし、殺人者の石の心は動くことがありませんでした。彼は答えました。「この子は、今は赤ちゃんでも、成長すればユダヤ人の男になる。だから、殺さなければならない」……ハダサ、16歳
・ユダヤ人を運ぶ貨物車がやって来て、鉄道の側線に置かれていると、うわさされていました。私は不安に駆られ、群衆の中をかき分けて進みました。頭の中に、「国外退去!すぐに退去せよ!」という怒声が、がんがん響き渡っていました。……ヴラドカ、17歳
・「18歳です」。声が震えました。「健康か」「はい」「職業は」「農家です」。そのように答える自分の声を、私は聞いていました。会話は数秒で終わったはずなのに、永遠のように感じられました。警棒は左へ向けられ、私は一歩前に進み出ました。父がどこに送られるのか、まず確かめようと思いました。もし父が右に行くなら、私も右に行こうとしたのです。幸いにも私は父について行くことができ、ほっとしました。右と左のどちらが良い方向なのかはわかりません。どちらが監獄行きでどちらが火葬場行きなのか。しかし私は一時だけ幸せを感じることができました。父の近くだったからです。……エリー、15歳
・……夜になると、空は赤くなりました。すべての煙突から煙と炎が出ていました。その晩、寝た者は誰もいませんでした。もはや、聞いていたことは本当ではないんだと、自分に言い聞かせることはできませんでした。耳にしていたこと、想像したことのすべてが、今、目の前で現実になっています。ここは死の工場なのです。……キティー、14歳
・私たちは解放されました。ナチスのガス室で死ぬ運命にある、ただの「数字」ではなくなったのです。生きる権利を奪われた囚人ではなくなったのです。ドイツは戦争に負けました。もう一度、再び、私は普通の少女に戻りました。確かに、他の同い年の少女たちとは違います。多くの点で大きく違っています。私は自由になったのです。……チャヴァ
生存者であるHalina Bryksが名札を持って映っているのは、インデルスドルフ修道院にいる彼女を家族が見つけられるようにするため。同修道院は、戦争難民のキャンプだった。この写真は、家族の再会を助けるため、新聞に掲載された。
1946年、ポーランド国外へ連れて行かれた、ユダヤ人の孤児4人。
生き残った母親と子供。1947年、イタリアのグルリアスコにあったユダヤ人の難民キャンプで撮影。
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