ステーション21 カペナウム(前半)
- 2020.12.23
- アブラハムの子供たち
教えるための情報
カペナウムはクリスチャンの耳に馴染んでいる町です。ガリラヤ湖畔の北西にある小さな町で、新約聖書には何度も登場します(マタイ4:13、マルコ1:21、ヨハネ6:59)。イエスはカペナウムを自分の町(マタイ9:1)と呼ばれ、いくつもの御業をなしておられます。カペナウムは、ダマスコからアッコやティルスなどの港湾都市をつなぐ大街道の途上にあり、イエスの時代、イスラエルの地で最も繁栄した賑(にぎ)やかな商業地の一つでした。人々は荒野から海へ、そして海から荒野への旅でこの地を通ったため、貿易で栄えたのです。
カペナウムは、ヘブル語でクファル・ナフムといい、「ナフム(慰め)の村」という意味です。遺跡となって今日も残っており、ガリラヤ湖上から見渡すことができます。考古学の発掘作業が行われ、イエスの時代の文化、日常生活、宗教的な慣習など、多くのことが明らかになりました。考古学者たちがマタイ8:14、マルコ1:30、ルカ4:38にあるペテロの姑の家の場所を発見したとし、それは正確な場所だと認定されています。さらに、町がまるごと掘り起こされ、広範囲にわたって建物や壁の土台が見つかりました。ぶどう搾り機や石臼、石の水がめなど、古代の共同体の日常生活が分かるような遺物も発見されました。また、彫刻も多数出土し、当時の芸術・宗教の様式がどのようなものだったかが分かりました。
しかしながら、至高の発見はシナゴーグです。しかも最も保存状態の良いものでした。学者の多くは、百人隊長によって建てられ(ルカ7:5)、イエスが頻繁に教えていた場所(ヨハネ6:59、マルコ1:21、ルカ4:33)だと考えています。2つの大ホールがある、300平方m(学校のプールくらい)ほどの大きな建造物で、おそらく女性用の上階の間と、バルコニーへの階段があったと思われます。石の腰掛が建物の3方の内壁に設置してあり、浅浮彫には、トーラーの巻物を入れる車輪付きの箱が描かれています。箱は、礼拝の間は会衆席の中に移動させ、使い終わったら元に戻したようです。装飾の施されたシナゴーグの建物は、賑やかな宗教共同体の中心としての役割を果たしていたに違いありません。
イエスの時代、ユダヤ人共同体のある所には、必ずと言っていいほどシナゴーグがありました。紀元1世紀、イタリアには181、スペインには5、北アフリカには21、ギリシャには19のシナゴーグあったことが、考古学的な記録や資料で分かっています。国外とは異なり、イスラエル内のシナゴーグは小規模のものが多かったのですが、それでも紀元70年までは、エルサレムが、全世界480のシナゴーグの中心でした。エルサレム神殿の庭にさえ、シナゴーグがありました。
エルサレム神殿とシナゴーグは、特別な関係にありました。両者は、聖書に記されている祭日の儀式など、多くの活動が一緒に行われていました。大祭司が神殿の奉仕だけではなく、シナゴーグの奉仕も行うのは普通のことでした。礼拝者たちが、神殿でのいけにえの儀式に替えて、シナゴーグでの祈りで済ませることもありました。しかし、紀元70年エルサレム神殿が破壊されると、いけにえの儀式はなくなり、シナゴーグがユダヤ人の宗教的生活の中心となったのです。
千数百年にわたり、ユダヤ人にとって幕屋と神殿、そして捧げ物が、礼拝と生活の中心でした。その慣習や儀式の多くがシナゴーグに引き継がれましたが、動物をいけにえとして捧げることは、神殿以外の場所では禁じられていました。そこで、シナゴーグではいけにえに代えて祈りが捧げられることになりました。ヘブル語でいけにえを表すアヴォダーは、「心のいけにえ」である祈りや礼拝と同じだとみなされました。当時の宗教的指導者やラビは、エゼキエル11:16で預言されている聖所はシナゴーグを指している、と信じました。
シナゴーグの役割、機能、建物の構造は、2500年の間、ほぼ変化していません。例えば、ほとんどの祭日の礼拝では、イエスの時代より500年前から同じ奉仕がなされています。共同体の中心としての役割、礼拝の場、人々を教え導くという活動は、シナゴーグが始まって以来、変わっていません。貧しい人や年老いた人々を助け、子供たちの学校などの社会サービスを提供するなど、多岐にわたる活動がなされてきました。今日、世界中に存在するユダヤ人共同体でも、このシナゴーグの役割は変わっていません。
しかしながら、シナゴーグのありようは、地域や時代により非常に多様です。タルムードには、すべてのシナゴーグには、ダニエルが祈りを捧げたような窓(ダニエル6:11)が、少なくとも1つある、と書かれています。また、扉はエルサレムに向かって作られ、聖所に礼拝者が入る前に、世の心遣いや思いを捨て去るための前庭が必要とされます。これらのことは共通しています。が、それ以外のこと、例えば建築構造や内装はそれぞれの会衆の趣向や予算に合わせたものになります。同時代でも、ユダヤ教内で派が異なれば、異なる構造の建物ができます。装飾が施された大きなものもあれば、簡素で小さなものもあります。
過去数百年の中で、世界で建築された最も壮麗荘厳な建造物はシナゴーグです。その内部は、儀式用の美しい品々や、非常に高価な芸術作品で、惜しみなく飾られていました。大きなものも小さなものも、簡素なものも豪華なものも、シナゴーグはユダヤ人の礼拝と共同体の中心であるということを、示してきたのです。
それゆえに、シナゴーグは度々、反ユダヤ主義のターゲットになりました。いつの時代にも、シナゴーグは攻撃され、焼き打ちに遭いました。中世のヨーロッパでは、十字軍だけでなく、地域に住む反ユダヤ主義の人々が、ユダヤ人をすべてシナゴーグに集めて火をかけて焼き殺しました。しかも、中世の讃美歌である「キリストよ 我らはあなたを愛する」など、キリスト教の歌を歌いながら、虐殺したのです。
1938年11月10日の夜は、クリスタル・ナハト(水晶の夜)として知られています。ヨーロッパじゅうのナチスが、何百ものシナゴーグを攻撃し、破壊しました。ドイツだけでも、破壊されたシナゴーグは280に上りました。1945年、ホロコーストが終わるまでに、ヨーロッパ全域の3万3914のユダヤ人共同体が完全に破壊されました。各共同体には少なくとも1つのシナゴーグがあり、必ずトーラーの巻物とその指し棒が備わっていました。それとともに、彫り物を施した木の箱、燭台、シャンデリア、至高の価値を持つ芸術作品、数えきれないほどの貴重な宝が失われたのです。
シナゴーグは今日も、世界中のユダヤ人の共同体と礼拝の中心として、存在しています。今日までユダヤ教の慣習と儀式を守ってきたシナゴーグは、現代と古代のユダヤ共同体をつなぎ、「シェマー イスラエル、アドナイ エロヘイヌ、アドナイ エハド」という声を国々に響かせ続けているのです。
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