創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑥
- 2021.04.02
- 神基準 vs 人基準
Ⅱ 人間が万物の基準である(3)
3)人間を基準とする社会の構築
①人間崇拝の始まり
『創世記』は、神が、「神に似せて、神のかたちに」人間を創造したと語ります(1:26、27)。これが、神を基準にした人間観です。
しかし、人間は神に反逆して、自らが「神のように」なり、そして「人間に似せて、人間のかたちに」神々(偶像)を造り、その神々を拝むようになりました。神々は「人間のかたち」なのですから、人間は自分自身を拝む「人間崇拝」を始めたことになります。これが人間礼賛、人間信頼、人間中心主義、人間至上主義、あるいは「人間教」の起源です。
神を基準とする世界観が、「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至る」(ローマ11:36)のであるなら、人間を基準とする世界観は、「すべてのものが人間から発し、人間によって成り、人間に至るのです」となります。
②バベルの塔事件・・・人間の自己実現宣言と多元化の起源
創世記11章に、「人間崇拝」の起源となる象徴的な出来事が記録されています。古代文明発祥の地メソポタミアで起こった「バベルの塔」事件です。
東の方からシンアル(シヌアル)の平地に移住してきた人々が、こう語り合います。
「さあ、我々は町と塔を築こう。塔の頂は天に届くようにして、名を上げよう。そして全地の面に散らされることのないようにしよう」(11:4)。
人々は人間の力を信じ、それを誇り、「レンガとアスファルト」という古代の新技術と新材料を用いて、天にまで届く塔のある町を建て、人間の知恵と力を全地に示そうとしたのです。その町はバベル(神の門)と呼ばれます。
これは、創造主のへの挑戦でした。人間の知性を土台にして、知識と技術力を積み上げていき、神の領域に達する塔を建てようとしたのです。「知恵と力を結集して、自分のしたいことは何でもするぞ」という、人間の意思表示です。それは、「人間が万物の基準である」ことを全地に知らしめようとする宣言でもありました。いわば、自己実現宣言です。
神はそれに対し、一つであった人間の言語を混乱させ、互いの言語が理解できないようにされました。そうすることで、バベルの塔建設を阻止されたのです。人間は全地に散らされ、多くの民族と言語に分かれることになりました。
バベルの塔事件は、人類の多様化と混乱の始まりであり、今日の多元主義や相対主義の起源ともなったのです。
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