創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑪
- 2021.04.20
- 神基準 vs 人基準
Ⅱ 人間が万物の基準である(8)
2.古代ギリシアとローマの人間中心主義
2)ヘレニズムの教会支配
BC332年、マケドニア(ギリシア)のアレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシャを滅ぼすと、ユダヤの国も大王の支配下に置かれ、ヘレニズム(ギリシア)文化の影響をもろに受けることになります。ギリシアのあと地中海世界の覇者となったローマ帝国も、ヘレニズム文化を全面的に引き継ぎました。ローマの属国となったイスラエルも当然、その影響下にとどまります。そして、そのローマ帝国内に広がったキリストの教会も、ギリシア・ローマの文化・思想の波をかぶることになるのです。
教会のヘレニズム化は、第一に、聖書の言葉がヘブライ語ではなく、ギリシア語、そしてローマのラテン語(五世紀初頭に翻訳)になったことにあります。紀元前三世紀半ばごろから、ヘブライ語聖書(旧約聖書)がギリシア語に翻訳され、そして紀元後一世紀には『新約聖書』がギリシア語で書かれました。本来、両方の聖書とも、ヘブライの伝統の中で、ヘブライの信仰、神観、世界観で記されたのです。しかし、両聖書ともギリシア語、後にラテン語だけで読まれるようになると、聖書の解釈や、キリストのとらえ方、罪からの救いの説明の仕方なども、ギリシア・ローマ的になっていくことは避け得ませんでした。
第二に、ユダヤ人信者(メシアニック・ジュ―)が教会から消えたことも大きな要因でした。AD32~135年、ユダヤ人がローマ帝国に対して蜂起したバル・コクバの乱(第二次ユダヤ戦争)を境に、教会でユダヤ人と異邦人の分離が起こり、ギリシア人やローマ人のクリスチャンが教会の中心となっていったのです。四世紀までに、ユダヤ人信者はほぼいなくなりました。ヘブライ語にもヘブライの伝統にも通じていない異邦人だけの教会になれば、ヘレニズム一色になるのは自然の流れです。
そして、AD313年、キリスト教がローマ皇帝に公認されて保護を受け、次いで392年にローマ帝国の国教に認定されました。キリスト教はますます「人間が基準」になっていきます。教会は国家と結びつき、教会内部では聖職者と一般信徒の階層が生まれ、人間の権力による組織化が始まったのです。「ギリシア人は知恵を求めた」(Ⅰコリ 1:22)のなら、ローマ人は権力を追い求めたと言えます。ヨーロッパの教会は、この「ギリシア人の知恵」と「ローマの権力」という、二つの人間の力で建て上げられることになるのです。
こうした流れの中にあって、教会は人間理性と力に沿った組織神学や護教論の構築を推し進めていきました。ヘレニズムのマインドを持つヨーロッパの人々の知性に受け入れやすいように、弁証論的な神学が組み立てられていったのです。つまり、ギリシア哲学の抽象的な用語や概念を用いて、唯一神論、創造論、キリスト論、三位一体論、救済論、終末論や神の存在証明などに関する議論が繰り広げられました。人間の理性や体験を基準として、聖書が解き明かされるのです。そして、最も論理的に矛盾なく理性に訴えている説(セオリー)が正しいとされました。
こうした人間理性による神学議論は、その後、西欧のキリスト教会の主流となりました。ルターの宗教改革後も、その流れは変わることなく、今日まで続いています。もちろん、人間理性には正しい役割があります。キリスト教の異端に対抗し、聖書の正しい神学的立場を弁明するために、重要な働きをしました。しかし、聖書本来のヘブライズムからは乖離していくことになりました。
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