創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑬

創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑬

Ⅱ 人間が万物の基準である(10)

 4.ルネサンス

さて、話をヨーロッパに戻します。

ヨーロッパの中世は、概して言えば、ローマカトリック教会が、圧倒的な権威と権力をふるった時代でした。教会が独断的、独善的な教理で人々の心を支配し、人間の自由と知性を抑圧した暗黒の時代と呼ばれたりします。

しかし、14世紀から16世紀にかけて、古代ギリシアのように本来の人間らしさを回復しようという運動が、イタリアを中心に広がっていきました。ルネサンス(復興、再生)と呼ばれる潮流です。人間の理性や感情を重視し、宗教的な来世より世俗的な現世を楽しむ生き方を肯定するヒューマニズム(人間主義)の復興です。

ルネサンスはありのままの人間性の回復でした。

第一に、人間の本能の解放です。教会によって抑圧されてきた性欲や金銭欲、権勢欲、食欲などの「肉の欲」を肯定したのです。人間が、人間の視点で自由に発想し、自由に自己表現し、自己実現を目指して行動することをよしとしました。

第二に、人間理性への信頼表明です。宗教の枠を打ち破り、理性で世界を把握しようとしました。神の権威を否定し、冒涜さえします。この時代のヒューマニストはこう宣言しました。「信仰はいらない。人間のうちに備わった理性と良心に従っていれば天国に入れる」と。

個人主義も、ルネサンスの潮流とともに芽生えた思想です。教会や封建制の共同体の縛りから個人が解放され、自己責任で自由な生き方を尊ぶようになりました。よく誤解されますが、個人主義は聖書の教えではありません。

また、世の物事を数値化して評価するというヨーロッパ特有の思想も、その起源はルネサンスにあります。人間が人間を数字で評価・格付けすることは、ヴェネチアの東方貿易の主要商品であった奴隷の価格付けから始まったとされます。

このように、ルネサンスはローマ法王を頂点とする教会の支配から脱し、「人間を万物の基準とする」古代に回帰しようとする運動でした。この潮流、すなわちヒューマニズム、理性と自由の重視、個人主義、世俗主義が、ヨーロッパの近代を開いて行くことになります。

 

では、中世ヨーロッパのローマ・カトリック教会は「神を万物の基準」としていたかというと、けっしてそういうわけではありませんでした。むしろ、教会こそ「人間を基準」にして、教会側の人間に都合のいい真理や人間中心の神学・思想(あるいは迷信)を聖書から捏造していたのです。人々の魂を闇から救い出すどころか、恐怖と蒙昧に縛り付けていました。教会は神の名を借りて、世俗権力に堕していたのです。

それに対してカトリック教会内部から、ルネサンスに連動するかのように、キリスト信仰の古代回帰が始まりました。1517年、ドイツでルターが宗教改革に立ち上がったのです。ルターは、神聖視されていたローマ法王の権威を否定し、「聖書」だけを唯一の権威として、「信仰義認」の教えを回復しようとしました。信徒は、カトリック教会の縛りから解放され、個人の自由な信仰で教会とつながるようになります。万民祭司のプロテスタンティズムが誕生したのです。

しかし、プロテスタント教会は、聖書に戻ったと言いっても、古代のヘブライズムに戻ったわけではありません。聖書を記録したユダヤ人の信仰のあり方や文化や伝統に立ち返ることには失敗したのです。理性重視、個人主義、ヒューマニズムは、教会に根強く残ることになります。それは、今日も変わってはいません。西欧発の「人間が万物の基準である」とする神学は、世界の諸教会に浸透したままなのです。