創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑭
- 2021.04.30
- 神基準 vs 人基準
Ⅱ 人間が万物の基準である(11)
5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義
1)近代的自我が基準となる
ルネサンスの古代ギリシアの復興、つまりヘレニズムの人間中心主義、理性中心主義、合理主義が近代の始まりとなりました。それを決定づけたのが、フランスの哲学者ルネ・デカルト(仏1596—1650)でした。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉は有名です。デカルトは、すべてのことを疑っても「絶対に疑えないもの」としての「考える自我」に行き着きました。疑っても、疑っている自我だけは、最後まで残ります。そしてデカルトは、人間観や世界観をこの「考える自我」から構築していくのです。
デカルトは、「我」にとって絶対に疑いえない存在である「我」を起点にして、すべてのものの存在を証明しようとします。まず、「我」を取り巻く他者や自然は、「我」の勝手な想像の存在ではなく、否定できないものとしてそこにあるがゆえに、存在する。また、「我」の意識の中にある神の観念は、神から来ているがゆえに神は存在する。そして「我」を存在せしめた原因としての神が存在する、というのです。つまり、「我あるがゆえに、他者あり、自然あり、そして神あり」なのです。
聖書の世界からすれば、神が人間を創造されたのですから、「神思う、ゆえに自然あり、我あり」なのですが、デカルトの哲学はそれを逆転させ、すべては人間の「考える自我」から始まるとしたのです。これは「近代的自我」と呼ばれたりします。
この「考える自我」は、神によって与えられた理性ではなく、神の存在に先立つ理性です。ヨーロッパ近代は、この根源的な人間理性から始まります。この理性を土台にした合理的な思考によって、哲学も科学も発展していきます。そうして人間は神の支配から脱し、神に代わり人間がこの世界と自然を支配して、神を排除した人間中心の社会を築こうとします。すなわち、「人間理性が万物の基準である」となったのです。
また、近代自我が確立するとともに、ヨーロッパはますます個人主義に突き進んでいくことになります。
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