創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑮

創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑮

Ⅱ 人間が万物の基準である(12)

 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義

2)啓蒙主義・・・人間理性中心の時代

次いで、ヨーロッパは啓蒙主義の時代に入ります。

啓蒙主義とは、理性に基づく合理主義、科学主義によって人間を教育し,無知蒙昧から解放することが、人類の進歩につながるという思想です。そして、神、および神にまつわるあらゆる迷信を徹底的に排除し、人間の理性と科学の力で、あらゆる問題を解決できると考えたのです。この人間理性に対するこの絶大な信頼は、もはや「理性信仰」というべきものでした。人間は理性の力によって、自然の事物事象をすべて解明し、自然をコントロールし、病気や貧困を撲滅し、政治、経済、社会問題も解決し、民族・国家間の対立も解消し、平和を築き、戦争を根絶し、ユートピアをもたらすことができる、という確信にまで高まったのです。理性の偶像化といっても過言ではありません。

それは、「善悪を知る木の実」を改めて食べ直し、まるで神になったような人間の姿でした。そんな啓蒙主義者たちは、カインが建てた「エノク」の町を再興しようとするかのようであり、あるいは「シヌアルの地」に「バベルの塔」を再建築しようとするかのようでした。

この時代から、教会でも、世の人々の合理主義や科学主義のマインドに合わせて聖書を解釈し説明する傾向が強まっていきます。理性や科学に反する記述は、理性に沿って合理的に解釈し直されるか、あるいは聖書から排除されるようになりました。

また、プロテスタントの諸教会が、聖書に対する見解の違いによって分裂し、いくつもの教派、教団が生まれるのもこの時代です。人間理性が基準となって聖書を読み解くのですから、当然と言えば当然です。キリスト教会の教職者(牧師、伝道者、神学者)に、アカデミズム信仰が強まっていったのも、この時代だろうと思います。ヘレニスト牧師や神学者がキリスト教哲学や思想をリードするようになるのです。