創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑯

創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑯

Ⅱ 人間が万物の基準である(13)

 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義

3)「神を殺した」・・・「殺し」の時代

①神殺し

そうして、19世紀に入ります。「人間が万物の基準である」とする哲学や思想は、いよいよ本格的に神の排除を開始します。最初の人殺しとなったカインは、神のもとを去って、神のいない町と文化を形成しましたが、人間中心主義を推し進めていった19世紀の西欧人は、ついに神そのものを葬り去ろうとしたのです。

唯物論の旗手となったのは、ドイツの哲学者ルートヴィヒ・フォイエルバッハでした。神の存在を否定し、世俗的な幸福を肯定して、キリスト教を強烈に批判しました。彼の墓碑銘には、創世記1章27節をもじって、「人は、人のかたちに、神を造った」と書かれているそうです。宗教は、人間による捏造だという意味です。

フォイエルバッハの無神論・唯物論は、ドイツの思想家カール・マルクスらに引き継がれます。マルクスはフォイエルバッハの唯物論をさらに徹底させ、唯物史観を唱えました。歴史は経済(生産と流通)、要するにモノとカネを土台にして動くというものです。

マルクスと同時期に、『種の起源』(1859年)を発表し、進化説を唱えたのがチャールズ・ダーウィンです。この進化説を境にして、本来は人間の出来事を綴ってきた歴史が、モノの歴史になり、人間もモノの一つとして、その歴史に組み込まれることになりました。

そしてついに、神に死を宣告する日が来ます。ドイツの哲学者フルードニヒ・ニーチェが「神は死んだ」「我々人間が神を殺したのである」と宣言したのです(『悦ばしき知識』1882年、『ツァラトゥストラはかく語りき』1885年)。彼は、ヨーロッパのキリスト教信仰の価値体系に終止符を打ったと誇りました。それは、「神が万物の基準である」とする聖書の人間観、世界観、倫理観を破壊し、地上から消し去ろうとするものでした(しかし、ニーチェも死んで、今も死んだままです)。