創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑳

創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準⑳

Ⅱ 人間が万物の基準である(17)

 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義

4)虚無の時代

④唯物主義の世界

現代、「人間が万物の基準である」とする思想の中でも、最たるもの一つは唯物論です。物質を構成する最小単位である素粒子が集まって原子となり、分子となり、それが様々な目に見える物質となり、人の体ともなり、社会となり、世界となり、宇宙となっているのであって、物質以外は何も存在しない、という思想です。

この物質世界の起源は偶然です。したがって、この世界は虚無です。宇宙は、偶然に、意味もなく目的もなく存在し、完成することもなく、果てしなく物質・エネルギー運動を繰り返し、やがて無に戻っていきます。まったくもって不気味な世界です。

唯物論では、人間とは脳であり、脳も体も機械のような物体です。意識も心も記憶もすべて物質の作用であると見なします。どんなに深奥な思想も愛の崇高な行為も、物質の運動にすぎません。美しいと思ったり、神秘を感じたり、センチメンタルになったり、胸の鼓動が高まったりしても、それはただの脳内物質の化学反応なのです。物質の解体とともに、すべて消え去ります。本質的に善も悪もなく、聖も罪もありません。ただただ無色であり、フラットです。

こうした世界にあって、人間を突き動かす原理は何か。それは存在への意志、すなわち生存欲、性欲、所有欲、権力欲、支配欲です。しかし、それも結局は「空の空」です。どれだけ長く存在しても、どれだけ自分の遺伝子を増やしても、どれだけ所有し、支配しても、いつかは死んで無に帰ります。「すべては空であり、風を追うようなこと」(コヘレト1:14)なのです。

この唯物論という世界観もまた、また、人間を基準とするおとぎ話であり、科学主義の神話であり、現代のファンタジー、虚構と言えます(ただし、今日、この唯物論に立つ共産主義が大きな政治勢力となって、世界を支配下に置くことを目指しているのは不気味です)。