創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準㉑

創造主が万物の基準 vs 人間が万物の基準㉑

Ⅱ 人間が万物の基準である(18)

 5.ヨーロッパ近代と啓蒙主義

5)それでも人間を信頼するほかない

①行き詰っていても「人間が基準」

21世紀に入っても、「人間が万物の基準である」とする潮流に変わりはありません。今日も、「人間が万物の基準である」が社会の土台です。それが、政治や経済、そして思想や教育の基調です。そうして人間至上主義をひたすら突き進んでいます。

実のところ、人間は、人間の知性と力には限界があることを知っているのです。知性や力だけでなく、人間の善性も信頼することはできません。日本では「人の本性は善である」と考える人が少なくないのですが、どう見ても人の本性は悪です。それは人類が繰り返してきた建設と破壊、戦争と殺戮の歴史からもわかることです。

しかし、現代自由主義社会の人間には、人間以外に信頼できるものはありません。今さら神を信じるわけにもいきません。宇宙が無目的であろうと、人間存在が虚無であろうと、人間の本性が悪であろうと、自然環境が大崩壊に行き着こうと、これからも人間は人間に信頼していくほかない、これが真相だと思います。

人間はそうした行き詰まりがわかっていても、その事実に目をつむり、それを意識に上らせないようにします。でなければ、危機迫る今日を平安に生きてはいけないからです。そして、今、自分の生きている時代だけは無事に過ごせることを願い、相変わらず自己実現を目指します。いわば、自己欺瞞です。宇宙が「空の空」であること、人間存在が虚無であることは忘れていなければなりません。忘れていることさえ意識しないように、自分を巧みに欺かなければなりません。無意識に思考停止するのです。

自分を欺けなくなったら、心が病気になってしまいます。なので、勉学やスポーツ、ゲームやギャンブル、芸術や音楽、趣味や恋愛、仕事や子育て、金儲けや犯罪に没頭することで、自分を欺くのです。それらに意味や人生の目的があるかのように思い込むです。それに虚しさを感じるようになれば、また別の夢中になれるものを探さなければなりません。

そうやって一生、「空の空」を直視しないように生き抜くことが、「人間が万物の基準である」という人生です。