神の国の暮らし 挨拶⑥

神の国の暮らし 挨拶⑥

「私たちには、キリスト心があるのです」(Iコリ2:16)。

心が伴わないのに、それでもあいさつをするのですか。そうです。なぜなら、私たちは自分の思いを成し遂げるのではなく、私たちのうちに住まわれるキリストの御心をなすのだからです。それができたとき、私たちは「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)というパウロと同じ境地に近づいたことになります。

私たちの出会う人たちはみな、「キリストが代わりに死んでくださったほどの人」(ローマ14:15)です。私たちは神の国を広げようとしているのですから、あいさつするのが当然なのです。自分の肉の思いはいやいやであっても、キリストの心を最優先してあいさつしましょう。「私の思いではなく、私のうちに住まわれるキリストの心を表わすのだ」と自分に言い聞かせるのです。

「私たちには、キリスト心があるのです」から。キリストが喜ばれます。なぜなら、自分の気持ちより、キリストの心に従ったからです。そのあいさつがあなたの心を広くし、相手の心を開きます。