神の国の暮らし 感謝④

神の国の暮らし 感謝④

自分の家族、友人、周囲の人々に感謝する

謙遜な人ほど、人に対して感謝の心をもっています。その人たちがいるから今の自分がいる、周りの人たちに助けられて自分は生きている、と謙虚に認められるなら、おのずから感謝があふれてきます。

しかし、高慢だと感謝の心が育ちません。実際、高慢な人の口からは、「ありがとう」のひとことが出にくいのです。もし日頃、「ありがとう」と言っていないなと思ったら、自分の高慢も疑った方がいいでしょう。

周囲の人には、感謝すべきことを探してでも「ありがとう」というべきです。それは、相手の存在を認めることになります。示してくれた親切や励ましの言葉、愛情、助ける行為に対するひとことの「ありがとう」が、その人の価値を高めることになります。第一週の「挨拶」の第五日の例をご覧ください。

逆に、こんなケースもあります。

ある主婦が、交通事故で体が不自由になりました。夫は妻を労わり、かいがいしく家事をこなし、愚痴ることはありませんでした。子供たちも父の手伝いをし、母を励ましました。しかし、女性はそんな夫や子の愛情に感謝ができないのです。夫には、「私のような役立たずとは離婚して、いい人と結婚して」と言い続け、ある日、自ら命を絶ちました。彼女の快復を願っていた家族には悲しみと憤りが残りました。家族は、彼女がそこにいて「ありがとう」と言ってくれれば、それでよかったのです。

「妻は確かにかわいそうでしたが、家族に迷惑をかけたくない、自分は役立たずだと決めつけて死んだのは本当に悔しいです」。夫は怒りさえ感じたと言います。できる人は、自分でできなければ、自分が許せないのかもしれません。でも、謙虚であれば、家族の愛情を感謝で受けとめることができました。体が不自由になっても、「ありがとう」は言えるのです。「ありがとう」と言うことで、家族の役に立てたのです。

謙遜であれば感謝できます。感謝できるだけの謙虚さがあれば、人のために役立てます。「ありがとう」の言葉がどれほど人を励まし、助けることか。

いつも「ありがとう」を心の中に準備していましょう。それが私たちを謙虚にします。すみません」を「ありがとう」の代わりに使わないことも大切です。