神の国の暮らし 感謝⑥

神の国の暮らし 感謝⑥

第五日 先取りして感謝する

パウロは「すべてのことについて感謝しなさい」(Iテサ5:8)と言います。ということは、パウロは、第二コリント11章に自ら言及しているような数々の艱難辛苦についても感謝していたことになります。

詩篇の記者は、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(119:71)と記しています。ならば原因と結果を入れ替えて、主のおきてを学ぶことになるがゆえに、先に苦しみに会ったことを感謝しておいてもいいではありませんか。

実際、パウロはローマ書5章3、4節で、「苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです」と語っています。患難にあっても、患難の果てにある品性と希望を、先取りして感謝するという姿勢をとっているのです。

病気や不遇さえも、そのゆえに体験できる恵みを前もって感謝できたら、すごいと思いませんか。そんな生き方ができたら、人生どんなに楽でしょうか。そんなことはできない、と言われるかもしれません。しかし、パウロはそんな信仰で生き抜きました。できるかできないかはともかくも、できるほうができないよりは幸せになれるでしょう。

主に選ばれて救われた私たちは、けっして見捨てられることはありません。人からは捨てられても、主には捨てられません。「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない」(申命記31:8)。主が先に歩んでおられます。それゆえ、不遇に遭っても自暴自棄にならず、人を批判せず、見捨てない主に先取り感謝するのです。

パウロは、「彼(キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない」(ローマ10:11)と確信しています。不遇を嘆き感謝しないよりも、どんなことにも先取り感謝する生き方のほうが、恵みの世界を開くことは確かです。