No.002 創世記1、2章 天地創造と神の国の始まり
- 2019.11.22
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記1章は、「初めに、神が天と地を創造した」で始まり、「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった」(31)で終わります。これが創世記の第一のメッセージです。このメッセージはとても重要です。人間の存在意味や価値や目的を決定するからです。
第2章では、神は人を「エデンの園」に置かれ、人は神が創造された「非常に良い」世界の豊かさを味わいます。「エデンの園」は、天にある「神の国」が地に来ている姿であり、地上における「神の国」の雛形です。「神の国」とは、神の御支配、神の統治のことです。そこで、人は創造主なる神と霊で交わります。神とのつながりが人間にとってすべてです。創造主とつながっていなければ、被造物の人間は自分の存在意味や価値や目的を知ることができないからです。
空を見上げていると、宇宙が存在しているのは不思議だなあと思います。宇宙は、別に存在しなくてもよかったのです。でも、存在しています。宇宙物理学は、宇宙が誕生して138億年としていますが、人類のような知的生命体が自然発生するまでの悠久の時間、宇宙はなぜ存在しているのかと問う者なく、ただ存在してきたことになります。不気味です。
人類の文明はその138億年目、地球が誕生してからは46億年目の終わりごろ、現代からさかのぼること1万年ほど前に始まったそうです。そんな人間に、歴史の始まりと終わり(ゴール)はとても語れません。進化の果てに、どこに行き着くかもわからない存在なのですから。
創造主を認めない知識人の多くは、「人間存在には目的はない」と断言します。宇宙は存在しなければならなかったわけではありませんから、生物や人間も、存在しなければならない理由はありません。人間存在に特別な意味も価値はないと結論付けるのも当然です。
でも、私には不思議なのです。「人間存在には目的はない」のに、目的のない宇宙で、なぜ人間は生きる目的を求めるのでしょうか。目的なしには人は生きられないのに、そして一瞬一瞬、目的をもって行動しているのに、人間存在自体には目的がないとはどういうことでしょうか。たった一日でさえ、目的なしに過ごすことはできません。いるとすれば、死人です。昏睡状態の病人でさえ、覚醒を目的にして生きています。
そして、この問いに答えようとすることすら、目的をもってすることになります。
それに対し、創世記は、神が目的をもって天地万物を創造され、目的をもって人間を創造され、そして目的をもって歴史を動かされると教えます。私は、人間が本能的に目的や意味を求めるのは、人間存在そのものに目的や意味が付与されているからだ、と考える方が自然だと思います。人間が、目的のない人生を、そのときそのとき勝手な目的を作って生きるのではなく、創造主が付与された目的に沿って生きるのが、人間として本来の幸いな生き方だと信じます。私たち一人ひとり、目的をもって創造されています。料理包丁が自分で勝手に目的を作って、人を刺してはならないのです。
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