No.010 人は神に依存して生きる
- 2019.12.11
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記1章29節
神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。」
また、神は人を食べて生きるものに造られました。人の体に歯、食道、胃袋、腸などを備え、食べて生きるものとされました。そして、その食物として「実を結ぶ木」を与えてくださいました。
神は人を、植物のように、光合成によってエネルギーを蓄える生き物には造られませんでした。もしそうだったら、誰にでも同じように太陽が昇る(マタ5:45)ので、飢えがなかったかもしれません。また、陽が沈めば活動が停止するので、不眠の悩みもなったかもしれません。昔、そんなSFテレビドラマがありました。
では、人が日々食べて生きるものに造られた意味は何でしょう。
それはまず、人が日々、神に依存して生きる者であることを忘れないようにするためです。人は一日でも、食べなければ飢え、飲まなければ渇きます。いのちの創造者である神から離れれば、たましいが飢え渇きます。こうして人のいのちの源は神にあることを、体に覚えさせるのです。キリストが、「日ごとの糧を今日も与え給え」と祈るように教えられたのも、それゆえです。神の慈しみに信頼して暮らしなさいということです。
次に、地の豊かさを、視覚、聴覚、嗅覚、触覚だけではなく、味覚でも楽しめるようにしてくださったということです。私たちは美しい花を目で見、鳥のさえずりを耳で聞き、芳しい香りを鼻でかぎ、爽やかな風を肌で感じ、そして、甘い実を舌で味わいます。神が創造された恵みの世界を五感で体験するのです。特に、人が一緒においしいものを食べて交わるのは、大きな喜びです。
また、神に感謝することを忘れないためでもあります。今日、食べる物があって、食欲があることは、本当にありがたいことです。食欲があっても食べ物がない、食べ物があっても食欲がないという辛さを、人は繰り返し体験してきました。
「実を結ぶすべての木」は、種から芽を出し、枝を張り、葉と花をつけ、実を結んで命のサイクルを完成させます。人や動物はその実をいただきます。
それは人も同じです。良い実を結ぶことをゴールに人生を歩みます。葉を茂らせ、華やかに花を咲かせ、見る者を楽しませることも大切ですが、人生のゴールではありません。良い実を結ばなければ、完成ではないのです。実がなければ、創造主の祝福の豊かさを人と分かち合うことも、また種を残して次世代に継承させることもできません。独りひっそりと花を咲かせ、自分だけで楽しむよりも、実を結んで人に喜ばれることのほうが大切なのです。実を結ぶことで、自分も神と人との役に立てるという充実感が得られます。
人の体は、食べて飲んで、エネルギーを燃やして活動します。同様に、人のたましいは、神のことばを食べ、キリストの生ける水を飲み、光を浴び、聖霊によってエネルギーを燃やして活動するのです。それが神の国の暮らし方です。
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