No.011 『非常に良かった』から始まった
- 2019.12.13
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記1章31節
神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
「非常に良かった」。全知全能の神、完全なる神が創造を終えて、そう宣言されました。この世界は「非常に良かった」から始まったのです。未完成から始まったのではありません。完成から始まったのです。
これは、現代の日本社会にとって、とても重要なメッセージです。というのも、多くの日本人が「非常に良かった」という、人間の完成図を持っていないからです。
そのため、ゴールのない勉強、人に勝つためだけの競争、目的のない金儲け、空虚を満たすためのゲームや賭け事、見栄のための恋愛、真実のない結婚、中身のない健康や若さの追求など、どこまで行っても完成することのない人生を歩んでしまいます。
それは、完成図のない1000ピースのパズルに取り組んでいるかのようです。あるいは、「本来、人生には目的はない」という現代の風潮にはまった人は、ミルクパズル(完成しても真っ白)に人生をかけているようなものです。
しかも、それでいい、それしかない、自分の人生をどう生きようと私の勝手だ、それの何が悪いと、考える人が少なくありません。そういう人ほど、自分の体や心を汚し、人生を石ころのように粗末に扱ってしまうのです。しかし、人は、そんな生き方をするために造られたのではないのです。人として生まれたことは、そんな軽いものではありません。
私たちは神に似せて造られ、「非常に良かった」という宣言を受けました。神の最高傑作として祝福され、愛され、尊い者として扱われます。それゆえ、私たち自身も、自分を非常に良いものとして大事に扱えるのです。人の尊さの根拠は、神のこの宣言にあります。自分で勝手に「私は尊い」と宣告しても意味がありません。尊さの根拠がないからです。人を創造した方から「あなたは尊い」と宣告されてはじめて、人は尊いのです。
そして、「非常に良かった」から始まった人は、「非常に良い」で終わります。それを成就してくださるのが、キリストです。
人は神に反逆したため、「非常に良かった」という始まりを喪失してしまいました。いわば、1000ピースのパズルの絵が崩れてしまい、完成図が分からなくなった状態です。その完成図を見せてくださったのが、完全な人として来られた神の御子キリストです。父なる神は、御子を与えるほどに私たちを愛し、「非常に良かった」者として扱い、実際に目に見える「非常に良かった」というモデルを示してくださいました。
しかも神は私たちを、「非常に良かった」から始まり「非常に良い」というゴールに行き着くレールに、乗せてくださいました。私たちは、そのレールの上を走ります。キリストを真似て、それぞれの人生の完成を目指します。それが神の国に生きることです。
どこに行き着くのかわからない人生、的外れな人生、完成のない人生を歩んではなりません。それでは確信のない生き方、不安に満ちた暮らしになります。キリストは、「非常に良かった」から、人生を始め直させてくださいます。
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