No.014 人を神の国の管理者とされた
- 2019.12.20
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記2章8-15節
神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。……
神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
エデンの園は、天にある目に見えない神の国が、目に見える形で現れた世界、つまり、地における神の国の原型です。
神の支配が隅々にまで行き届いて、人は神と平和を保ち、人とも互いに和し、自然とも調和していました。神のかたちである人は、神の代理者として、世界の支配を託されました。御心に沿って生き物を管理し、地を治めるのです。
エデンを源とする4つの川は、神の国の祝福が四方に広がり流れていくことを象徴しています。
人は、園で遊び暮らしたのではありません。土地を耕し、働きました。働くことには意味と喜びがありました。主に、「産めよ、増えよ」と祝福されてもいました。そのとおり、人が子孫をなし、エデンを中心に増え広がり、地を正しく支配するなら、神の国の祝福も全地に広がり、理想的な楽園となったことでしょう。
主が園の中央に生えさせた「いのちの木」と「善悪の知識の木」は、神が世界の中心であり、創造者であり、支配者であることを示しています。
「いのちの木」は、人のいのちの源は主にあり、主に支えられていることを思い起こさせます。いのちは主のものであり、人が踏み込んではならない聖なる領域です。人のいのちには触れてはならないし、人が勝手に操作してもならないのです。
「善悪の知識の木」は、善悪の基準、すべての物事の価値の基準は神にあることを示しています。世界を創造したのは、神なる主です。創造者でもない人が、主の定められた善悪の基準を勝手に変えてはならないし、物事の価値や意味や目的を独断で別個に作ってはならないのです。これを破るなら、基準の絶対性、唯一性は失われ、すべてが相対的になり、正義なく互いに争い合う世界になってしまいます。けっして「人間は万物の基準」ではないのです。
ところで、人には「耕す」だけではなく、「守る」という務めがありました。敵の攻撃や、破壊や、混乱から、エデンの園を防衛する働きです。サタンの勢力が存在する限り、私たちにとっても、神の国の領域と活動を防衛するという意識はとても大切です。サタンと戦わずには祝福は守れません。戦う意識を失えば、勝利は期待できません。キリストは、私たちを神の国の「立派な兵士」としても招集しておられます(Ⅱテモ2:3)。
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