No.016 人は生き物に名をつけた
- 2019.12.25
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記2章19、20 節
神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。
人(アダム)は、人は神に似せられた生き物として、神の知恵をもって、あらゆる生き物に名を付けました。
人が名を付けるとは、地の管理者として、生き物を正しく治めていくということです。
神が人に名を付けられたように、名前を付ける側が上位者であり、保護者です。人も自然界の保護者として、すべての生き物が調和を保ち繁栄するように守り、環境を整えていく役割があるのです。
また、人が名を付けるとは、生き物たちの存在を認め、愛し、意味を与えることです。
最初の人は、慈しみをもって動植物の一つ一つに名を付けました。人間は、動植物の存在意味や価値を認め、それを育む役割を持っているのです。人間も他の生き物も、神に祝福されたものとして、ともに神を賛美し見上げるのです。人間が自分の欲望実現のために動植物を利用したり、虐待したり、殺したり、変容させたりすることは、当然のことながら、想定されていませんでした。
このあと、アダムはパートナーの創造を喜び、「男(イシュ)から取れたのだから」と「女(イシュ)」と名付け(2:23)、また、妻の名をエバ(命)と呼ぶという場面が出てきます(3:20)。この命名にも、妻に対する夫の愛と喜びがあふれています。
このように、命名は、他と区別するための単なる記号ではありません。聖書においては、命名の持つ意味は重要です。ユダヤ人の聖書学者ナホム・サルナによると、「名前は、性格や性質を伴うよう意図されている。つまり、生を持つ者の個性の全体を作り上げる、内面に織り込まれた多様な力を意味する」(河合一充編著『出エジプト記の世界』ミルトス)のだそうです。名前はその実体を表すと同時に、その可能性を引き出す役割を持つのです。それは、このあと聖書に登場する諸人物の名前と、その性格、行動で確かめられます。
もしアルファベットや数字の組み合わせで、機械的に記号を付けていったのであれば、そこには慈しみはありません。生き物に存在価値を認めないという態度です。たとえば、人に番号付けをして、番号だけで呼ぶということは、奴隷や囚人やモノ扱いするということです(たとえば、ユダヤ人は、ナチス・ドイツによるホロコーストに際し、そのような扱いを受けました)。
アダムは、神の見ておられるところで、神の創造の意図に沿って生き物に命名しました。それは、人が神の国の祝福を世界に広げる働きの一つでした。
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