No.023 サタンの国の価値観
- 2020.01.10
- 三つのテーマで読む創世記(上)
創世記3章6節
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。
もう一つ、サタンの国の価値観を見ておきましょう。それは「善悪を知る木」の実に表れています。女は、その実の魅惑に惹かれていまました。
その木の魅惑の第一は「食べるのに良い」ことです。エデンの園には、「善悪を知る木」以外にも、「見るからに好ましく食べるのに良いすべての木」があり、そこから「思いのまま」食べてよかったのです(2:9、16)。それで満たされるはずでした。なのに「蛇」の誘いで「善悪を知る木」に目を向け、魅せられ、手を出しました。ここに人間の「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」(Iヨハ2:16)の起源があります。つまり、もっとおいしい食べ物、もっと良い服、もっと大きい家を求めて、とどまることのない欲望に駆られるようになったのです。そして、その衣食住の欲望を満たしてくれるのはお金です。お金があれば幸せになれるという考え方の始まりです。
次は「目に慕わしい」です。人が見た目の美しさを尊ぶ価値観の起源です。美しいものを尊ぶこと自体が悪いわけではありません。内面の美を追求するのは良いことです。ただ、外面の美に惹かれて、内面の本質を見誤ることが問題なのです。人は見た目の美しさに欺かれ、また外側の美しさで人を欺こうとする傾向があります(マタ23:27)。今日、人は見た目の美しさや若さのためには、お金と時間と努力を惜しみません。それは、テレビCMを見ただけでもわかります。しかし、内面を磨くことには無頓着なのです。
最後は、「賢くする」です。この木の実を食べて「賢くなりたい」と欲したことが、「人間の価値を決めるは知性、能力、学歴である」という考え方の起源になりました。この賢さとは、もちろん人の賢さ、世の知恵のことです。今日、人々は知識と学歴が幸せにすると信じ、子供のときからそれを獲得するために、膨大なお金と時間と努力を注ぎます。しかし、創造主の知恵、神の賢さには目もくれません。
現代は、だいたいお金と外見美と頭の良さの三つの基準で、人の価値を計ります。しかし、お金、容貌、知識や学歴があれば幸せになれるというのは、無神論・無宗教の「現代神話」なのです。そして、この「現代神話」こそ、サタンの国の価値観です。それは、人を争い、虚無、徒労、悲しみへと導く価値観です。「創世記は神話にすぎない」と切り捨てる人たちは多いですが、彼ら自身、結局はこの「現代神話」に欺かれているのです。
一方、神の国の価値観はただ一つです。神に愛されていることがすべてです。神の愛が人を高価で尊い存在にします。その尊さに、お金、外見美、世の知識、学歴は、何も付け加えることはできず、また減らすこともできません。神の国では、いのちは財産にあるのではないし(ルカ12:15)、「外面的なものではなく、心の中の隠れた人柄こそが大切であり(Iペテ3:3、4)、「神の愚かさは人よりも賢い」のです(Iコリ1:25)。
ただ、キリストによって神につながっていること、すなわち聖霊が与えられていることだけが、人の存在価値を保証します。
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